ごあいさつにかえて


このサイトには、ひとりの女性が遺したメッセージが綴られています。

私が彼女「海さん」の存在を知ったのは2001年3月、山崎まさよしファンクラブの掲示板でした。
そのとき彼女はがんのため余命3ヶ月と告知を受け、これから闘病生活に入るということでした。
現在がんは不治の病ではないといわれていますが、その治療は決して簡単なものではありません。
体力的にも精神的にも、大変辛く長いものとなります。

しかし海さんは余命の宣告を受けながらも、真正面からありのままを受け止めて病気と闘うのだと決意していました。
その前向きな姿に多くの人が勇気づけられ、学び、そして人を想う優しさを貰いました。
彼女の当面の目標はTransit Time Tour2001-2002に参加するとことでした。辛いことがあっても、先の楽しみがあるからと治療も前向きに取り組んでいました。その合間に残された彼女のメッセージは、いつも周囲の人を思い遣る優しさに満ち溢れ、彼女を励まそうと言っていたはずの私たちのほうが逆に元気付けられていました。そこに集まっていた誰もが皆、彼女が病気を克服して帰ってくるのだと信じて疑いませんでした。海さんならきっと、この困難も乗り越えられる、と。

私たちをつないでいたのは最初は「山崎まさよし」という一人のアーティストが好きだということでした。生まれたところも年齢もバラバラだった私たちをつないでいたのは、ただそれひとつだけだったのです。唯一であったかのように思えたそのつながりは、やがて彼女のメッセージを通し「生きること」という大きなつながりへと変わっていったのです。ふだん健康であるときには気にもならない些細なことも、それ自体が奇跡のような素晴らしいものであることを気づかせてくれたのもまた彼女だったのです。

当初は余命3ヶ月と言われていた闘病生活も、4ヶ月、5ヶ月と時が過ぎ、海さんの頑張りが少しずつ成果となって現れてきました。大きかった腫瘍も小さくなり、一時期は体力づくりのためにスポーツジムへ通うことができる程までに症状は改善されていました。私たちが彼女が元気になって戻ってくると、願ったことが叶えられると信じたときでもありました。
しかし病魔は一時的に影を潜めていただけで、再び彼女の身体を蝕み始めたのです。
それはいつも前向きだった彼女が、掲示板にメッセージを残せなくなるほど辛く苦しいものでした。

そして2002年6月6日、海さんは29年の短い生涯を終えました。

海さんのメッセージは現在も私たちの心の中で大切にのこされています。
そして彼女が分けてくれた優しさを、他の多くの人へ伝えていきたいと思っています。
それが彼女の希望に適うことでありますようにと願って。
2009年6月 管理人 拝


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