フランス史にみる クロス・ステッチの華麗な変遷




「クロス・ステッチ DIYシリーズ・2」 日本ヴォーグ社
昭和53年5月31日発行


森山 多喜子

パリの国立図書館にある1910年頃に出版された刺しゅう事典をひもとくとクロス・ステッチは古代ギリシャ・ローマ時代からあったと書かれています。それらの作品はエジプト・アッシリア・ペルシャ・ギリシャ・ローマの宮殿・教会・聖堂などに飾られ、宗教が根元となっているようです。そしてその多くの作品はつづれ織の職人と呼ばれる人達の手によって一針ずつ丹念に作られて来ました。

ロワール河域にある16世紀に栄えた美しい城館・シュノンソーは代々の城主が女性で会ったことで知られていますが、1603年の財産目録には12枚のクロス・ステッチの敷物が記載されているそうです。

同じ16世紀のルイ13世の時代にクロス・ステッチは華やかな彩りを添え、教会をはじめ王の居間・寝室の椅子やベッドにと使われていきました。

17世紀のルイ14世の時代には、贅の限りを尽くした壮麗なヴェルサイユ宮殿の室内装飾をクロス・ステッチが美しく飾り、その図柄には花模様が多く用いられました。

そして18世紀のルイ15世になりますと、図柄に多少の変化が見られ、そのデザインは少々グロテスクで、唐草の花柄や、花飾りの中に中国風の人物を配したり、猿やリスなどの小動物をあしらったりしているのが目立ちます。

こうして王侯貴族の手によって花開いたクロス・ステッチは、ルイ16世の時代になっても衰えずそのデザインはロココ調の華麗な花束の群となっていきます。

かの有名なマリー・アントワネット妃も静かな午後の日々にはマダム・エリザベスと共にクロス・ステッチに親しんだと伝えられています。

そして今も宮殿や美術館では、それらの作品が見る人々の目を奪い、由緒ある家柄の邸には今日も生活の中に活きており、そしてデパートに行けばキャンバス地に印刷された17・8世紀風のクラッシクな図柄の刺繍セットがあり、一体にデザインは古い歴史の中のタピスリー(つづれ織の壁かけ)から取った花・唐草・風景と人物などが多いようです。

その市販されているセットの作品で面白いと思うことは複雑な図案の部分だけ、すでにクロス・ステッチなりハーフクロス・ステッチが施されておりあとは地を刺し埋めるだけの作品があることです。簡単でよいといえばそれまでですが、何か楽しみが少ないように思えてなりません。どこの国の人々も早く出来ることを望む時代になっているのでしょうか。

ただ日本と違うと思うことはクロス・ステッチの作品に限り、椅子用と壁かけようが多いことです。フランスは、椅子の張り換え屋が、まだ職業として立派に通用する国ですから、先祖伝来の椅子を再びクロス・ステッチでと何年もかけて作る人もいるわけです。

刺す糸は4番の甘撚り木綿糸(ソフト・エンブロイダリー・マタルゴン)と極細か中細の毛糸が使われ、細かい刺し目はハーフクロス・ステッチで大きな目にはクロス・ステッチを、と使い分けています。これは18世紀頃からの手法と伝えられていますが、例えば一枚の図柄の中で人物の顔の部分は1ミリほどのハーフクロス・ステッチ、その人物の衣服や背景となっている樹木や城などの風景は2ミリほどのクロス・ステッチ、そしてそれらを取り囲んでいる唐草模様や地の部分は3〜4ミリの大きめのクロス・ステッチでまとめられている作品があり、細かい部分の繊細さと縁まわりの背景のダイナミックさが良く調和し、効果のある素晴らしい表現方法だと思います。

クロス・ステッチは一目ずつ刺し埋めてゆく根気のいる手仕事ですが、それだけに充実感のある楽しさがあります。それに図案を写す手間がなく、すぐに刺繍糸が使える嬉しさは又、格別で私も大好きな刺繍の一つです。少々刺し目が揃わなくても悲観しないで刺して行けば、誰でも上手になることですし、このめまぐるしい世の中で針を持つたしなみこそ、もっとも優雅な女性の姿に思えます。



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