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有名人・文化人墓所
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森川竹窓の墓 所在地:大阪市天王寺区餌差町 「大応寺」
最寄駅:JR環状線「玉造」下車、西へ「善福寺」南へ約100M
明星学園東側
森川竹窓は江戸後期、大坂で活躍した書家・画家である。1763年(宝暦13年)大和国高市郡鳥屋村の生まれ。名は世黄、字は離吉、通称曹吾、号竹窓、良翁、拍堂など。
 17歳のとき江戸に出て佐竹氏に仕えたが、数年で辞し、20歳前半に大坂に移住。書法を岳玉渕に学び、篆隷を能くし、古法帳を臨模して一家を成し、備後町や高麗橋で書道を教授した。また、篆刻、文章にも秀いで、南画にも長じた。
 夕陽丘町にある大江神社松井三津人が建てた芭蕉の句碑の揮毫は竹窓の筆による。
上田秋成と親しく、彼の死後の1821年(文政4年)13回忌に京都・西福寺に墓を建てている。
竹窓は1830年(天保30年)68歳で京都で没するが、遺言により、妻の眠る大応寺に葬られた。著書に「集古浪華帖」、「集古仮名遣」、「草行集字句選」、「雨傘余情」など。

[参考資料] 『大阪人物辞典』 三善貞司編 清文堂出版社
大応寺 森川竹窓の墓がある大応寺。
門前の傍らの石碑に「兼葭堂墓所」とある
中央が森川竹窓の墓、右側は竹窓の妻素琴の墓。
左側の墓は素琴の妹香川氷川の墓。
3つの墓ともアクリルケースで保護されているが、ケースの中で雑草が繁殖している。
森川竹窓と妻素琴の墓
森川竹窓の墓 森川竹窓の墓.
アクリルの内側で雑草が枯れたのが擦り傷に見える。
この墓は竹窓が生前の1827年(文政10年)自らが建てたものである。
竹窓の妻素琴の墓 香川氷川の墓
竹窓の妻素琴の墓。
墓標にある芝園は素琴の号。素琴は竹窓の弟子でもあり、画才は早くから知られていた。竹窓より6歳下であったが1810年(文化7年)夫より20年早く、41歳で病没した。墓碑銘は竹窓
素琴の妹香川氷川の墓。
美人画に才能を見せ、本人も絶世の美人であったと伝わるが、姉の没後5年の1815年(文化12年)に没している。

文化人墓-043/TTL-460

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