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神社めぐり 産湯稲荷神社
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比売許曽神社へ



産湯稲荷神社 所在地:大阪市天王寺区小橋町
最寄駅:JR環状線、近鉄奈良線、地下鉄千日前線「鶴橋」下車、
千日前通りを西へ約300m、北に入る
当社は比売許曽神社の旧社地にあり、現在は御旅所で末社となっている。
 現地に掲げられていた社記によると「当地の開拓神である大小橋命(おおおばせのみこと)は天児屋根命の十三世の後胤で、13代成務天皇の御代(4世紀頃?)、ここ味原郷に誕生した。その時、境内の玉の井の水を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。 父は神功皇后の近臣中臣雷大臣、母は紀氏清夫と言い、3人兄弟の長男である」としている。すなわち、大化の改新で活躍した藤原家の祖、中臣鎌足の先祖に当る人である。 この誕生のときの胞衣を埋めたと伝わる胞衣塚が比売許曽神社の近くにある。
 また、一説では生野区にある御勝山は大小橋命の墓であるとも言われ、この地には大小橋命に関わる伝承は多い。

[参考資料] 『現地説明板』
産湯稲荷神社正面鳥居 産湯稲荷神社社殿
産湯稲荷神社の正面鳥居。 産湯稲荷神社本殿。
比売許曽神社御旅所と桃山跡の石碑 産湯稲荷神社境内小社
「式内比売許曽神社御旅所」と「桃山跡」の石碑。
桃山というのはこの辺りの丘陵には明治の頃まで広大な桃林があったことに由来するという。
1919年(大正8年)に埋め立てられた味原池とともに
景勝地として知られていた。
 産湯稲荷神社境内小社。沢山の神々が祀られている。



大小橋命産湯玉之井 大小橋命産湯玉之井の碑
大小橋命産湯玉之井(左側)と「大小橋命産湯玉之井」碑(右側)。
大小橋命が誕生したおり、この玉の井の水を産湯に使ったという。現在では、この「井戸の水は飲料に出来ない」との『注意書き』があった。

[2009年7月18日参拝]

神社-122/TTL-686

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