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三光神社 所在地:大阪市天王寺区玉造本町
最寄駅:JR環状線「玉造」下車西へ、「日出通り商店街」&玉造筋を
横切って約300m:
当神社は反正天皇(約1600年前)の時代の創建と伝えられ、天照大神・月読命・素盞鳴命を祭神とし、境内末社に仁徳天皇・武内宿彌・野見宿彌・主守稲荷を祀る。1661年(寛文元年)御旅所のあった圓珠庵(鎌八幡)の隣に移り、1706年(宝永3年)再び現社地に復した。旧地名を姫山または嬪山と呼ばれており、「摂津名所図会」には姫山神社とある。1908年(明治41年)境内にあった中風除けの神として広く知られた「三光宮」を合祀して現在の社号なった。
  945年(昭和20年)6月の空襲で社殿を始め建物一切が焼失したが、戦後5期にわたる再建工事が行われ、現在の形に復興している。
 また、境内は桜の名所として知られているが、江戸時代も当社一帯は風光明媚な景勝地で、上記の「摂津名所図会」には「この地よりは比叡山をはじめとし、生駒、信貴、二上、金剛山まで一眼の中に見渡せた」と記載されている。

[参考資料] 『三光神社由緒略歴』 三光神社パンフレット
         『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
三光神社 神社本殿と正面にある鳥居。
当神社の境内社に「武内宿彌社」があるが、これは武内宿彌が景行、成務、仲哀、応神、仁徳の5朝に244年にわたり仕え、日本一の長寿であった所から「七福神」一人の寿老人に重ね祀られている(当神社では寿老神)。
真田幸村の像。1987年(昭和62年)大阪真田山ライオンズクラブの建立になる。台座は信州上田、真田家の菩提寺の長谷寺より、取り出した真田石が置かれている。 真田幸村像
三光神社真田の抜け穴 「真田の抜け穴」といわれる洞穴。この地は宰相山と呼ばれる一角にあり、真田幸村が「大坂冬の陣」の時、大坂城の出丸(真田山)を築いたところとされ、この穴は大坂城に繋がっているといわれている。
「真田山」はどこに築かれたかについては諸説あり、この「宰相山」もそのうちの1つ。
ご朱印
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三光神社朱印
[2004年1月10日参拝]

神社-016/TTL-125

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