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神社めぐり
神社めぐり 大依羅神社
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大依羅神社 所在地:大阪市住吉区庭井2丁目
最寄駅:地下鉄御堂筋線「あぶこ」下車、東へ、市バス「大依羅神社前」を南へ、阪南高校の隣り
大依羅神社(おおよさみ)は、創建は住吉大社とほぼ同じくする。古代この地域を支配していた依羅吾彦(よさみのあびこ)が祖先である建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ:『古事記』によれば、第9代開化天皇の第4皇子としている)を主神として、住吉3神、大己貴命、素盞鳴命、月読命を祭り、依羅氏が代々神主となっていた。
 『日本書紀』神功皇后前紀9月条に、筑紫に出征した神功皇后依羅吾彦男垂見を、底・中・表の筒男3神(住吉3神)を祭る神主にしたとある。
 平安時代には朝廷の尊崇を受け、847年(承和14年)に官社に加えられ、877年(元慶元年)には山城石清水八幡宮、賀茂神社などと共に、幣帛を奉り甘雨祈願が行われるなど、隆盛を極めたが、南北朝の戦乱後、依羅氏一族の衰退と共に、社殿も衰え、社務は神宮寺である大聖観音寺(あびこ観音)の別当にゆだねられた後、住吉大社の摂社となった。1876年(明治7年)郷社となり、次いで府社となった。

[参考資料] 『日本歴史地名体系』大阪府の地名編 平凡社
大依羅神社山門 大依羅神社北側参道
神社の門はお寺の山門を思わせる。丁度、つつじが満開であった。 北側の大鳥居からの参道には両側には桜が植えられてあり、桜のトンネルになっている。
1659年(万治2年)に造り替えられた社殿は1969年(昭和44年)の火災で失われ、社殿は従来の南向きを東向きに変えて、1971年(昭和46年)に再建されている。 大依羅神社社殿
依綱池跡

神社の北側の鳥居の前にある「依綱池跡」の碑。
『日本書紀』の崇神天皇62年条と推古天皇15年条に「依綱池跡」を造ったとある。古代は広大な池であったが、江戸時代の宝永年間(1704~11年)、大和川付替工事のため、川が池を横断し、形態が著しく変化縮小した。
その後、更に埋め立てが進み、今では痕跡すら留めていない。


庭井の跡 境内の一角にある「庭井の泉」
 の碑。碑文には、『往昔ここに
 湧き溢れる泉があり、里人は「
 斎庭井の清水」と称え、これが
 字名のとなり、現在も地名とし
 て残っている』とあった。

神社-033/TTL-189

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