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神社めぐり
神社めぐり 桜井神社
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桜井神社 所在地:堺市南区片蔵
最寄駅:泉北高速鉄道「泉ケ丘」下車、南海バス「畑」行きで
「桜井神社前」下車すぐ
桜井神社は延喜式内社で通称、上神谷(にわだに)の八幡さんと呼ばれる。社伝によると597年(推古天皇5年)この地に八幡神が示現、郷の人々が神祠を建て祀ったところ、亀乙と称する老翁が現れ三神の神像を刻み姿を消したという。
 また、『泉州志』や『和泉名所図会」によると、本来の祭神は武内宿禰といい、後に八幡神が合祀されたという。このことからも、武内宿禰を祖神とするこの地の氏族である桜井氏の祖先を祀ったのが起源と思われる。
 中世に至るまで、神仏習合の霊場として隆盛を極めたが、1577年(天正5年)織田信長の根来攻めの際、拝殿と本殿を残して焼失した。一時荒廃したが、社殿は1588年(天正16年)から江戸時代の1731年(享保16年)にわたる再建により旧観に復した。

[参考資料] 『現地説明板』 大阪府教育委員会、堺市
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
桜井神社入口 寺院の山門を思わす神社の入り口。
かって、神社の境内に宮寺と阿弥陀堂があったとのことだが、明治初年の神仏分離によって廃寺となっており、
この門は当時の宮寺の遺構と思われる。
拝殿は鎌倉時代前期の建築様式とされ、堺で唯一国宝に指定されている。
現地の解説板によると中央に「馬道」という土間の通り抜け部分を持つ割拝殿形式で、桁行5間、梁間3間、
一重、切妻造、本瓦葺の二重虹梁蟇股(こうりょかえるまた)式という奈良時代以来の伝統的な形式である構架法などよく創建当時の姿を留めているという。
1953年(昭和28年)国宝に指定された。
桜井神社拝殿
桜井神社本殿 境内社上神谷戎
桜井神社の本殿。
誉田別命(応神天皇)・足仲彦命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)を祀る。
境内社の上神谷戎社。
保護樹木もみの木 境内に聳えるもみの木。
2本並んであり、1本は16m、もう1本は14mとのことでいずれも堺市指定保存樹木。
ご朱印
桜井神社朱印
[2006年12月20日参拝]

神社-078/TTL-522

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