大阪再発見の表紙に戻る
神社めぐり
神社めぐり 春日神社
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります



春日神社 所在地:東大阪市善根寺6丁目
最寄駅:近鉄東大阪線「新石切」下車、バス四条畷行「善根寺」
下車、生駒山に向かって、約800M
当社は善根寺の旧村社で、『大阪府全志』によると「768年(神護景雲2年)枚岡明神を分霊して大和の春日に遷座するのに供奉した一行のうちの、25人が河内に立ち帰り、この地に春日4神を勧請したのが当社の起源である」と伝える。
 この春日25人衆が春日神社の屋根葺替えなどに奉仕し、宮座へと発展したという。
 1872年(明治5年)に枚岡神社に合祀されたが、1881年(同14年)復社し、現在に至っている。

[参考資料] 『現地説明碑、現地説明板』 東大阪市、東大阪観光協会
春日神社への上り口 春日神社への上り口。
3年前河内33ヶ所霊場菩提寺に参拝の折、この春日神社も参拝したのであるが、ハードディスク内のデータが壊れてしまいアップ出来ずしまいで、今回再度訪れた。
前回訪れた時には無かった案内板など(春日神社横のパネル)が新たに建てられてあり、境内の玉垣も新たに整備されていた。
春日神社の拝殿。
祭神は 天児屋根命、比賣神、経津主命、武甕槌命の春日4神を祀る。
拝殿にかかっている扁額は江戸時代に梵学研究と仏教の復興に尽力した慈雲尊者が寄進した。 
春日神社拝殿
春日神社本殿と灯篭 拝殿の隙間から本殿を覗くとその脇に灯篭が建っている。説明板には『[承応三年(1654年)桧皮御座]の文字があり、春日神社若宮の屋根葺に奉仕する人々により村が作られ、本社が祭られたことがわかる』とあった。
この石碑も本殿の前にあり、拝殿の隙間からではちょっと読みにくかったが、これによれば、石碑の上に乗っている2個の石は「おきよ石」といい、1940年(昭和15年)神武天皇東征2600年を記念して「おきよ丸」なる古代船を復元し、宮崎より大阪に向け航海した。そのときに運ばれて来た石がこれで、神武天皇上陸地と縁の深い当社に奉納されたもの。
本殿前の「おきよ石」
神武天皇古戦場碑 境内の一角に「神武天皇御東征孔舎衛坂古戦場」の碑が建てられている。この碑は紀元2600年(昭和15年)の建立。

大阪湾に入ってきた神武天皇は、生駒越えで大和に入ろうとし、これを知った長髄彦は当地孔舎衛坂で迎え撃ってこれを撃退。神武軍は兄の五瀬命が肘に流れ矢が当たり負傷し、退却を余儀なくされたという。

[2007年5月29日参拝]

神社-096/TTL-568

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyright©2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。