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神社めぐり
神社めぐり 御机神社
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御机神社 所在地:四條畷市南野6丁目
最寄駅:JR学研都市線「四条畷」下車、旧国道170号線に出て北へ
約300m。田中医院の前の辻を東へ約800m、権現川に出会う2つ目の橋を渡る。
当社は『延喜式』神名帳に載る官幣小社で、四條畷市にある式内3社のうちの1社である。
 元は現在地を更に山中を東に行った室池の近く、字宮谷に有った。創祀年代は不明だが、この地からは奈良時代の古瓦が拾集され、神社の起源として奈良時代には鎮座されていたものと推測される。
文禄年間(1952~6年)に清滝字城の堂山に移し、更に1700年(元禄13年)に現在地に遷座した。
 1560年(永禄3年)三好長慶飯盛山に居城した頃には飯盛城鎮護の神として崇敬も厚かったといわれる。文禄年間の城の堂山への遷座は三好長慶の動向と何らかの関連があるのかもしれない。
 当社は平安期の神仏習合により「牛頭天王社」と称し、豊作を祈る水神信仰に基づく神として祀られ、この名称が江戸時代の終わりまで続いた。
 社名を『延喜式』神名帳にのる旧名に復興したのは1871年(明治4年)で、明治政府の神仏分離令の結果による。現在の社殿は(明治14年)に建てかえられたものだが、近年修復されている。

[参考資料] 『御机神社由緒(現地案内板)』 
         『四條畷市史』 四條畷市
御机神社本殿への階段 権現川に架かる橋を渡ると神社への階段がある。
階段を登ると鳥居の向こうに社殿が飛び込んでくる。  御机神社正面鳥居
御机神社拝殿 御机神社拝殿。
祭神は須佐男命(素盞嗚尊)。
ヤマタノオロチ退治で有名なスサノオノミコトは、平安時代以降、もともとはインドの神であり、仏教における祇園精舎の守護神である牛頭天王と習合し、祇園信仰として全国に広まった。
明治の神仏分離で、牛頭天王の多くはスサノオを祀る神社となったが、牛頭天王を祭神とする神社も全国に数社ある。
社殿の軒下には、奉納されたと思われる透かし彫りの額が多く掲げてあり、図柄は舟や水に関わるものが多かった。
祭神のスサノオノミコトは神社の案内板ではの御神徳として学問、薬業除け、縁結びを挙げているが、一般的には海や嵐など水神としての色合いが強いことと関係があるのだろうか。
ひょっとしたら、下の写真の滝地区のダンジリの部分かも知れない。
御机神社奉納の透かし彫り
境内小社・神明社、稲田社 境内末社の神明社&稲田社。祭神は天照皇大神とスサノオの妻の稲田姫を祀る。
屋根の部分はダンジリの屋台で造られている。
傍らの案内碑によれば、2001年(平成13年)滝用水の水株解消を記念し、滝地車を解体して覆屋としたとあった。
境内末社の水神社。祭神は水波能売命。
かっては神社の横を流れる権現川の水力(水車)を利用しての漢方薬、線香、製粉など工業が発達した。水車の数は江戸時代には13軒もあり、昭和30年代の中頃までは地場産業として大いに振るった(昭和の最盛期には水車は20軒を越えたという)。水神社はこれらの業者が信仰したと思われる。
境内小社・水神社

[2008年4月25日参拝]

神社-107/TTL-638

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