大阪再発見の表紙に戻る
霊場参拝
摂津八十八ヶ所 摂津八十八ヶ所
第37番
摂津三十三ヶ所 摂津三十三ヶ所
第32番
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります



霊峰山 如願寺 所在地:大阪市平野区喜連6丁目
最寄駅:地下鉄谷町線[喜連瓜破]下車、市バス「加美南6丁目」行で「喜連」下車すぐ:
当山の創建は588年(崇峻天皇元年)聖徳太子物部守屋を討伐したとき、仏法興隆の奇端の地として当地に「喜連寺」を建てたのに始まる。西に阿弥陀寺、東に弥革勒寺、南に湯谷寺など四方に荘厳な諸堂が建てられた大伽藍であったといわれる。
 幾星霜を経て堂宇は縮小されたが、その後弘法大師が高野山巡錫の折、当地に詣で、その衰退を憂い、820年(弘仁11年)勅許を得て再建した。弘法大師は寺名も如願寺と改め、脇士不動明王、毘沙門天を自作安置し、鎮守堂を建立したと伝わる。尚、けやき材の一木作りの本尊聖観世音菩薩は、平安時代の作で、1065年(昭和40年)大阪府有形文化財に指定されている。
 当山に隣接して「楯原神社」があるが、当山はこの楯原神社の神宮寺であったと記載されている資料なども見受けられるが(楯原神社境内の平野区役所作成の解説板にも同様の記載があった)、これは事実ではなく、現在地の近くにあった神社が暴風雨のため、社殿が壊れたため、元和年間(1615〜24年)当山の敷地内に還座している。このためもあってか両者の境界線争いが、太平洋戦争後にまで及んでいたとのことである。(勿論、現在は解決しているとのことであった)

[参考資料] 『霊峰山 如願寺』 如願寺パンフレット
         『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 
如願寺山門
楯原神社の境内に面して山門がある。手前の狛犬は楯原神社の拝殿の前に置かれているものである


如願寺門前の石碑

 通りに面した門のところには「摂津8
 8ヶ所霊場」「摂津33ヶ所霊場」の
 石碑が建っている
弘法太子再建の諸堂は兵火や地震のため焼失下が、現在の本堂は享保年間(1716〜36年)に再建されたものである。 如願寺本堂
如願寺弥勒殿 境内の一角にある弥勒殿。硝子越しに本尊の弥勒菩薩を拝むことが出来る。
ご朱印
摂津八十八ヶ所霊場 摂津三十三ヶ所霊場
如願寺朱印-1 如願寺朱印-2
[2004年4月7日参拝] [2004年4月7日参拝]

寺院-066/TTL-175

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。