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霊場参拝
河内西国33所観音霊場 河内三十三所観音霊場
第4番
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明照山正光寺 所在地:枚方市磯島元町
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅下車、北口へ出て、府道13号線(京都守口線)を北へ、「かささぎ橋」を渡り約300m、陸橋のところを左に入る。約200m
当山はの開基は1484年(文明16年)日野宰相が蓮如上人に帰依し、上人が出口村光善寺に巡錫の折、道忍という名を受けられ、出家して当寺を建立した。
 1507年(永正4年)本願寺から、方便法身の尊像を免許され、1682年(天和2年)領主日野弘資から「正光寺」の寺号を授かった。
 寺はもとは磯島茶屋町にあったが、村の戸数増加で1825年(文政8年)村の中央にあたる現在地に移転し、その時前大納言日野資矩から「明照山」の山号を与えられた。
 現在の「河内三十三所観音めぐり」は1887年(明治20年)の大坂高麗橋在の津田元治郎という人が発起人となり再興されたが、この津田元次郎は磯島茶屋町の出身とのことで、1885年(明治18年)淀川の堤防が決壊し、大惨事となった事件後に、「神も仏もない」心のよりどころを失った人々を救おうと、ふるさとの北河内の寺院に観音像とご詠歌の扁額、朱印の版木を寄進したとの事である。

[参考資料] 『明照山 正光寺』 正光寺パンフレット
正光寺山門 正光寺山門。
正光寺本堂。
記録によれば、この本堂は旧地の茶屋町に1792年(寛政4年)に建てられたものを、1825年(文政8年)現在地に移築されている。
本堂の軒を支える柱の礎石が非常に大きく、現在の柱よりひと回り大きい柱跡があり、茶屋町にあった本堂は現在の本堂よりも大きな建物であったようだ。
近年では1978年(昭和53年)に昭和の大改修が行われた。
正光寺本堂
正光寺観音堂 観音像
観音堂(左側の写真)と安置されている観音像。
この観音堂は江戸時代末までは磯島の八幡神社境内にあったが、明治初年の神仏分離のため、当寺に移された。
現在もこの観音堂は当寺の管理ではなく、磯島地区の人たちが直接管理に当たっているとのことである。
正光寺鐘楼 実従桜
鐘楼と梵鐘は当山の開基500年記念事業として、
1988年(平成元年)の再建。
それまでの梵鐘は先の大戦で供出された。
境内にあるしだれ桜。案内板には「実従桜」とあった。
それによると、室町時代後期、当地は糸桜の名所で近郷からの見物人で賑わった。1560年(永禄3年)蓮如の末子実従も当地に来た折、桜見物をしており、そのときの模様は彼の日記『私心記』に書き残されているとのことである。

八幡神社 所在地:枚方市磯島元町
最寄駅:京阪本線「枚方市」駅下車、北口へ出て、府道13号線を北へ、正光寺への道、約100m手前にあり
磯島八幡神社 摂津国と刻まれた石柱
正光寺の観音堂は元はこの八幡宮の境内にあった。『枚方市史』によると、1622年(元和8年)当地の領主日野前大納言が八幡宮を勧請し、社殿を造営した。1711年(正徳元年)には拝殿が新築されている。
この神社を有名にしてるのは旧鳥居に彫られている神社の所在地で、「摂津国嶋上郡磯島村」とあり、もう1本の柱には「寛保3年(1743年)」とある。このことから、旧磯島村はかっては淀川の中洲にあり、中州は枚方よりも高槻寄りで、摂津国に属していたことが分かる。
ご朱印
河内三十三所観音霊場
正光寺朱印
[2008年8月2日参拝]

寺院-237/TTL-647

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