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霊場参拝
河内三十三ヶ所 河内西国観音霊場
第2番
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龍興山 念仏寺 所在地:大阪府八尾市久宝寺3丁目
最寄駅:JR大和路線「久宝寺」下車、「顕証寺」を目標に北へ
約700M。「八尾市まちなみセンター」北側
当山は、もとは久宝寺の末院で、念仏勧進聖堂場として栄えていたが、南北朝の1341年(興国2年/暦応4年)念仏回向の寺として、僧龍興により創建され、平野の大念仏寺の末寺となった。
 また、当念仏寺に祀られている本尊の十一面観音像は、もとは久宝寺の本尊であたっところから、久宝寺観音院とも呼ばれている。
 現在も続いている地名の発祥の元になっている「久宝寺」は聖徳太子が建立した46仏閣のうち、22番目に当り、七堂伽藍の大寺で当時河内国の仏法の中心地に位置していたと伝わる。この久宝寺が松永弾正の兵乱や慶長の兵火に罹り、本堂など全てが焼失し、以後、そこに久宝寺は再建されることはなかった。焼失の際、太子の作と伝えられる本尊の十一面観音像は寺僧が助け出し、これを背負い、伊賀の国に逃れた。
 その後、伊賀、近江の国々を流転し、久宝寺村に里帰りし、この念仏寺に程近い許麻神社の境内に小堂(久宝寺観音堂と呼ばれた)を建て、十一面観音像を祀った。明治初年の神仏分離令で、この観音堂は廃寺となり、観音像は布施高井田の長栄寺に預けられたが、明治の末頃のはやり病の祈願のため、村人のたっての願いで、1909年(明治42年)当寺に迎えられ、現在に至っている。

[参考資料] 『龍興山 金剛乗院 念仏寺』 念仏寺パンフレット
         『河内西国巡礼』 河内西国霊場会編
念仏寺山門(八尾) 「八尾まちなみセンター」に向かい合う形で山門がある。
念仏寺は久宝寺寺内町の真ん中に位置し、昔ながらのの町並みがよく保存されている地域でもある。
「まちなみセンター」では寺内町の成立から発展の経過がわかりやすく展示されていた。
1341年(興国2年/暦応4年)の当山の本堂落慶法要には、融通念仏宗中興の法明上人の霊跡があるという、宗門きっての古刹である。
現在の本堂は明治の末期の建立。築後100年は経つとのことである

法明上人:鎌倉時代末期の僧。1279年(弘安2年)河内国深江(現在の大阪市東成区深江)の生まれ。25歳で出家。1321年(元亨元年)、大念仏寺第7世となり、融通念仏宗を復興した。 念仏勧進のため全国を行脚して融通念仏を広げる。1349年(正平4年)71歳で没。
念仏寺本堂(八尾)
念仏寺不動堂(八尾) 本堂に隣接してある不動堂。滝谷不動の流れをくむとの
事で、眼病平癒の霊像として信仰されている。
ご朱印
河内三十三ヶ所観音霊場
念仏寺(八尾)朱印
[2004年8月18日参拝]

寺院-077/TTL-231

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