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霊場参拝
摂津八十八ヶ所 摂津八十八ヶ所
第45番
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蜂熊山金剛院 所在地:摂津市千里丘3丁目
最寄駅:JR東海道線「千里丘」西口下車、線路沿いに大阪方面へ
約700M
当山は味舌寺(ました)とも蜂前寺(ぶぜん)ともいわれ、行基菩薩の開創と伝えられる。『摂津郡談』には「天平勝宝年中(749〜57年)行基が紫雲金光を見てこの地にきたところ、老翁に遭い、曰く、ここは大悲有縁の霊場なので、急いで寺院を創草すべしと、数々の珍菓を於いて立ち去り、その後空には光が放たれた。行基は自ら大悲の像を彫り、これを安置し、放光山味舌寺と号した。」とある。
 蜂熊山蜂前寺の名は本尊薬師如来の霊験で出現した蜂に助けられたという南朝の武士の話や、村人を悩ませていた盗賊を蜂群が退治したという話が伝わり、その折戦死した蜂を埋め供養した「蜂塚」が現存する。この不思議な蜂の出現により、いつしか人々は蜂熊山蜂前寺金剛院と呼ぶようになった。
 寺伝では永正年間(1504〜21)三宅城(現茨木市)城主出羽守国政の外護を得たが、天正年間(1573〜92)の戦火で伽藍が焼失、、寺運も衰退していたが、1663年(寛文3年)当寺の住職宥清が再興し、元文年間(1736〜41年)領主織田丹後守輔宣の祈願寺となり、往古の面影を取戻したという。

[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
         『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
金剛院山門 金剛院の正面入口。山門はどこかの学校か工場の門柱のようだ。
本堂と右側は護摩堂。
現地の解説板(摂津市教育委員会)によれば、護摩堂に安置されている本尊の「木造不動明王」は平安後期の作品と推定され、大阪府の文化財として指定されているとのこと。また、護摩堂は「寛文年中、織田有楽候の孫2代目領主織田豊前守殿再建給う」と記録に残されている。1995年(平成7年)の震災でこの像も被害を被ったが1999年(平成11年)に修復されたとのことである。
金剛院本堂
織田有楽斎野立の井戸 境内には、1582年(天正10年)に味舌2000石の領主になった織田有楽斎(うらくさい:織田信長の弟)が、野立に使ったといわれる井戸があった。
ご朱印
摂津八十八ヶ所霊場
金剛院朱印 訪問した当日は無人で、朱印は寺務所の前に置かれてあったので、朱印代と引換に頂いてきた。
サイズは通常のものより一回り大きかった。
[2005年1月19日参拝]

寺院-102/TTL-336

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