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霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第6番
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瑞竜山 来迎寺 所在地:堺市南区大庭寺
最寄駅:路線バスは廃止されている。
泉北高速鉄道「栂・美木多」下車、北へ約1,500M
来迎寺は行基菩薩が開基したといわれる大庭造(おおばのみやっこ)の菩提寺である大庭寺がその前身といわれる。往古、大庭寺は大伽藍であったと伝わるが、現在は地名にその名をとどめているのみである。
 貞享年間(1684〜88年)の泉州33ヶ所の記録によれば、第6番は「大庭村惣福寺(宗福寺)」となっているが、「惣」というのは、村人の共同体を表わす言葉でもあり、下記参考資料によれば、大庭村は江戸初期より、享保年間にかけ、渡辺丹後守吉綱から孫の基綱に至るまで60数年間居を構え、当地を始め、太平寺、小代、栂、鉢峯など14村を領したので、惣福寺とされたであろうとしている。
 1843年(天保14年)の「寺社覚」によれば、来迎寺、惣福寺、西蓮寺がともに鉢峯山と記され、これらの諸寺がその昔、大庭寺の末寺だったと思われる。
 明治以降、泉州33所の第6番を惣福寺(現存しない)から、引き継いだとのことである。現在寺院は普段、無住の寺院で隣町の太平寺の住職が兼務されている。

[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
大庭寺の集落の中に来迎寺はあった。
左の門柱には「大庭寺観音堂」と刻まれている。
本堂は10年前に修復されている。
現在の堂宇は本堂のみのこじんまりとした寺院で、朱印を頂くために本堂の前に連絡先が書いてあった檀家総代の方に電話をし、わざわざ本堂を空けていただいた。
境内に建てられてあった大きな石碑。
本尊の十一面観世音菩薩は大庭寺の本尊だったと伝わる。
もともとの本尊は、制作年代は不明であるが、文化財としての価値は高かったが、本堂の修復とあわせ、この本尊も修復したため、その価値は落ちてしまったとのことである。
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場
来迎寺朱印(堺市)
[2006年10月13日参拝]

寺院-186/TTL-510

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