大阪再発見の表紙に戻る
霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第28番
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります
[更新記録]
・11/02/20 多宝塔本尊及び本堂脇陣の記載事項訂正 
金泉山 長慶寺 所在地:泉南市信達市場
最寄駅:JR阪和線「和泉砂川」下車、西北へ約1.2Km
当山はもとは現在地より北へ役1Km程行った海会宮(かいごう)池の北、現在の一丘神社の地にあった海会寺の1院で、海会宮池中島の観音堂であったという。海会寺は神亀年間(724〜9年)、聖武天皇の勅願により、行基菩薩によって開創されたと伝わる。
 988年(永延2年)諸堂宇が焼失、997年(長徳3年)に再興された。
 下って、1577年(天正5年)織田信長の雑賀攻めの時、兵火にかかり観音堂を残して全て堂宇を焼失した。のち、慶長年間(1596〜1616年)豊臣秀頼の命により、大野主馬が観音堂と本尊を現在の地に移し、再興したのが当山と伝える。
  江戸時代には岸和田藩主岡部氏歴代の祈願寺となり、寺運は隆昌したという。1687年(貞亨4年)には岡部氏より修理物供田5町歩が寄進され、1697年(元禄10年)修復が行われている。
山上の地の利を生かした眺望の絶景は儒者林羅山が吟じ、江戸中期の史家石橋直之も長慶寺八景として、葛城暮雪、淡路落日などを賞している。

[参考資料] 『長慶寺由緒』 現地説明板 
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
長慶寺山門 長慶寺は小高い丘の上にあり、下から100段の石段を登り終えると仁王門がある。
長慶寺の本堂。
1997年(平成9年)に再建された。
本尊の如意輪観音は行基菩薩自作と伝わり、秘仏である。
須弥壇両脇に多聞天、持国天が警固し、。左脇陣に愛染明王、福禄寿、不動明王を、右脇陣には弘法大師、役行者を祀る。
長慶寺本堂
長慶寺三重塔 長慶寺多宝塔
3重塔は2004年(平成16年)に落慶されたばかりの新しい塔である。 多宝塔(開山堂)。行基菩薩を祀る。
長慶寺庭園 墓地から海を望む
境内の片側は庭園になっている。 3重塔脇の高台からは泉南の海が一望される。
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場 南海沿線七福神札所
長慶寺朱印-1 長慶寺朱印-2
[2007年4月10日参拝] [2007年4月10日参拝]

寺院-200/TTL-546

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。