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寺院めぐり
寺院めぐり 来迎寺
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所在地:守口市佐太中町7丁目
最寄駅:地下鉄谷町線「大日」下車、京阪バス「寝屋川市駅」行きで「佐太天神前」下車、北西へ徒歩約7分
当山の創建は1347年(正平2年)、大念仏寺7世法明上人の弟子、実尊誠阿上人西願が河内国茨田郡下仁和寺庄守口村(守口市来迎町)に天筆如来を本尊として一宇を建立したのが始まりとされる。
(誠阿上人の来迎寺開基の経緯についての伝承が大阪市旭区の八幡大神宮に残る)  
 後に南朝の後村上天皇の勅願寺となり、釈迦如来立像の寄進を受け、本堂に放光殿の号を賜ったと伝える。
 現在は浄土宗知恩院の末寺となっているが、かっては大念仏宗(融通念仏宗)佐太派の総本山で末寺は63ヶ寺もあった。河内西国33所観音霊場を巡拝していると、寺院の由緒の中で、元は来迎寺末寺と記されているところが多く見られるが、明治初年に現在の浄土宗に改宗された。
 また、来迎寺は移転を繰り返した寺院として有名で、誠阿上人の開基以来、1678年(延宝6年)に現在地に落ち着くまでの332年間に茨田郡内で26回(守口市の現地説明板では25回)の移転を繰り返している。
 この理由として、守口市史編纂委員会の調査では、来迎寺が南朝方に組したため、2世の時代以降に北朝方の足利義満から圧力を受けて創建当初の堂宇を維持できなくなったこと。住職相続を直檀家の内34家からなる床仲間からくじ引きで決めたこと等から、代替わり毎に相続者の居村に移転したものとしている。

[参考資料] 『現地説明板』 守口市教育委員会、来迎寺
来迎寺山門 来迎寺勅旨門
来迎寺山門。
来迎寺と道を隔てて佐太天神宮がある。

この門は閉ざされたままである。門扉に菊の御紋があるところから、皇室関係の方が見えられた時に開くものと思われる。
来迎寺本堂 来迎寺本堂。鉄筋コンクリート造りになっている。
来迎寺観音堂 来迎寺納骨堂
観音堂。 納骨堂。
来迎寺石造十三重塔 四十八願所46番札所石碑
石造十三重塔。
鎌倉時代の石塔で、基礎部に「嘉元2年(1304年)寺講衆四十余人」の銘文があり、1970年(昭和45年)
大阪府の有形文化財に指定されている。
門前の傍らに建つ「勅願所 石清水八幡宮御本地天筆如来」、「西方四十八願所第46番 本山来迎寺」石標。
来迎寺 見事に手入れされた松。枝が地に這うように伸びている。
守口市の保存樹木に指定されている。

寺院-256/TTL-691

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