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新秀山満願寺 所在地:川西市籬満願寺東
最寄駅:阪急宝塚線「雲雀丘」下車、阪急バスで「愛宕原ゴルフ場」行きで、「満願寺」下車
当山の縁起は、神亀年間(724〜9年)勝道上人が千手観音を本尊として創建したと伝わる。
 のち、968年(安和元年)源満仲が摂津守として多田に本拠地を構え、満願寺に帰依し、源氏一門の祈願所とした。
 以来、源頼朝足利尊氏など源氏一門の安堵や寄進を受け、寺運大いに栄え、最盛時には49の院坊があったが、戦国末期の兵乱でことごとく焼失している。
 徳川時代に入り諸堂が再建されたが、往時の盛況には及ず、12院となったが幕末期に至るまでに円覚院以外は全て移転。明治初年に円覚院を改めて満願寺と称し、現在に至っている。現在の多くの建物はその当時のものである。
 円覚院は源満仲の子美女丸が出家した後住居とした由緒から、満願寺の寺務老職を引き継いで来た。

[参考資料] 『神秀山 満願寺』 満願寺パンフレット
         『日本歴史地名体系』(兵庫県の地名編) 平凡社
満願寺山門 一風変わった山門。
1881年(明治14年)に、洋風を取り入れた建築様式で全国的にも珍しいとのこと。
左右の仁王像(鎌倉時代末期の作)は旧多田院にあったものを明治の初期に満願寺へ移した。
金堂は慶安年間(1648〜52年)の再建
金堂には阿弥陀如来をはじめ、薬師如来、聖観音、
十一面観音、四天王、など多くの古仏像を祀る。
満願寺金堂
満願寺観音堂 満願寺毘沙門天堂
観音堂。金堂と同じく慶安年間(1648〜52年)の再建
観音堂には、本尊の千手観音立像(平安時代中期の作:秘仏)が安置され、毎年春の彼岸に一般開帳される。
毘沙門天堂。
パンフレットには毘沙門天は源満仲が自ら刻んみ奉納したとある。
満願寺美女丸の墓 満願寺源氏の七塔
謡曲「仲光」に登場する美女丸幸寿丸藤原 仲光の墓と伝わる。傍らの立札には室町〜桃山時代のものとあった。 源氏の七塔。右より源国房光国明国仲政国直行国国基の供養塔。
満願寺坂田金時の墓 満願寺法華塔
坂田金時の墓(ご存知足柄山の金太郎さん)。
源頼光の4天王の一人で大江山の酒呑童子退治で活躍した。
法華塔と呼ばれる九重の石塔は鎌倉時代後期のもの。
1283年(正応6年)の銘があり、国指定重要文化財となっている。
ご朱印
摂津八十八ヶ所霊場 新西国三十三ヶ所霊場 摂津三十三ヶ所霊場 頂いた散華
満願寺朱印-1 満願寺朱印-2 満願寺朱印-3 満願寺散華
[2006年2月18日参拝] [2006年2月18日参拝] [2006年2月18日参拝]

寺院-154/TTL-445

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