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文学碑(1) 所在地:
薄田泣菫の碑:大阪市中央区上本町西4丁目「東平公園」内
武田麟太郎の碑:大阪市中央区上本町西4丁目「誓願寺」内
伊藤静雄の碑:大阪市阿倍野区松虫通2
霊場めぐりの途中で見かけた文学碑です。

薄田泣菫文学碑
薄田泣菫文学碑 薄田泣菫文学碑
 大阪市中央区上本町西4丁目「東平公園」にある薄田泣菫の『金剛山の歌』の碑。(右は桜の花が満開だった)
この詩は、作者が本長寺に仮住まいしていた頃、散歩の途中、朝日に輝く金剛山を見て、詠んだと言うが、勿論現在ではビルに遮られ、展望は利かない。
薄田泣菫(1877〜1945)は岡山県生れ、24歳で大阪に出て文芸雑誌、詩集を刊し、象徴派詩人として名声を得た。

武田麟太郎文学碑 武田麟太郎文学碑
大阪市中央区上本町西「誓願寺」の境内にある武田麟太郎文学碑
誓願寺の墓地には「井原西鶴の墓」があり、この文学碑は武田麟太郎の小説『井原西鶴』の一節が刻まれている。



伊藤静雄文学碑
伊藤静雄文学碑-1
大阪市阿倍野区松虫通の歩道上に、伊藤静雄の詩『百千の』の碑がある。

伊藤静雄(1906〜1953)長崎県に生まれる。住吉中学(現住吉高校)の教師として来阪。
その作風は現地の解説板によると「浪漫的かつ日本的な叙事詩に耽美の極地を示した」とある

伊藤静雄文学碑-2碑文には
「百千の草葉はみぢし 野の勁き琴は鳴り出づ 哀しみの 熟れゆくさまは 酸き木の実 甘くかもされて 照るに似たらん われ秋の太陽に謝す」とある

史跡-005/TTL-102

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