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史 跡
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慈雲尊者遺跡
(双龍庵址)へ
慈雲尊者の足跡へ
慈雲尊者遺跡
旧不動寺 所在地:東大阪市山手町
最寄駅:近鉄奈良線「額田」駅下車、東へ約300M
不動寺は長尾寺とも言われ、平安時代の初め額田の豪族高内皆人(たかうちみなんど)が創建したと伝えられる。 慈雲尊者はその子孫の高内秀有よりこの寺を譲り受け、1758年(宝暦8年)41歳のとき、高野山の真源の依頼を受け、『南海寄帰伝』の訳注にあたった。
 この寺は現在は重願寺というお寺になっており、その境内に慈雲尊者が双龍庵で揮毫し、不動寺の境内に建てられた歌碑が残されている。

[参考資料] 『現地解説板』 東大阪市
慈雲尊者歌碑 重願寺の境内にある慈雲尊者揮毫の歌碑。
1583年(天正11年)前関白近衛前久が、額田の名族高内正定の道案内で、枚岡神社参拝後、この寺に立寄り、そのときに詠んだ歌『枯のこる 長尾のおかの すすき原 霜もしらけて いとどさむけき』が刻まれている。
この碑は高内秀有によって建てられた。
重願寺は本誓山と号し、文禄年間(1592〜95年)の創建で、元は大阪谷町に在ったが、谷町筋の道路拡張に伴い、1962年(昭和37年)墓地と共に現在地に移転。
現地の解説板によると『本尊の木造阿弥陀如来座像は台座や光背は江戸時代の後補だが、顔や衣は藤原時代の特徴を残している』とのこと。 「大阪正宗」と称された江戸時代の名刀工、井上真改の墓などもある。
重願寺全景
重願寺多宝塔 多宝塔に祀られている聖観音立像は、藤原時代末期の作。「大坂33所観音廻り」の第17番霊場として、江戸時代依頼信仰され、近松門左衛門「曽根崎心中」にも『17番の重願寺、ここからいくつ生玉の、本誓寺ぞと伏し拝む‥‥』とある。
この観音像は東大阪市の有形文化財の指定を受けている 
大阪市中央区谷町9丁目、谷町筋に面した大阪市交通局の建物の植込みの中に、かってここに「重願寺」があったことを示す石碑が建てられている 旧重願寺跡地に建つ石碑

史跡-034/TTL-210

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