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史 跡
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大坂の私塾(1)
適塾 所在地:大阪市中央区北浜3丁目
最寄駅:地下鉄御堂筋線「淀屋橋」下車、
御堂筋東側日本生命ビルの手前を東へ200m
緒方洪庵は1845年(弘化2年)大坂・瓦町にあった適塾から現在地に移転。以後約20年間、ここを根拠として、日本最初の病理学書「病学通論」、コレラの病理・治療・予防法を書いた「虎狼痢治準」などを著わしたほか、1849年(嘉永2年)道修町に除痘館を設けて種痘事業の発展に尽くすなど多大の業績を残した。
 適塾からは、大村益次郎福沢諭吉佐野常民(日本赤十字社の初代社長)、橋本左内(安政の大獄で刑死)、大鳥圭介長与専斎高松凌雲池田謙斎など、幕末から明治にかけ活躍した人材が数多く出ている。

[参考資料]] 『史跡・重要文化財 適塾』 適塾パンフレット
適塾外観 緒方洪庵像 
適塾は大阪のオフィス街に江戸時代の町屋の姿を現在に留めている。
1941年(昭和16年)に国の史跡に指定され、1964年(昭和39年)には国の重要文化財に指定されている
適塾に隣接する公園の一角に建つ、洪庵の銅像。
塾における教育の中心は蘭書の会読であった。これの予習のために塾生が使用した辞書「ヅーツ・ハルマ」が、展示してあるヅーツ部屋。
当時はきわめて貴重で、適塾には1部しかなく、塾生はこの部屋で奪い合って使用したといわれる。
適塾で使用されていた辞書は洪庵の江戸勤務のための荷物整理のドサクサで紛失し、現在展示してあるのは塾生が書き写したものとのこと。
適塾内部-1
適塾内部-2 塾生が寝起きした2階の大部屋。
現存する「姓名録」(展示してある)には、塾生は日本全国から集まり、その数は1000人にも達している。

適塾内部-3


 中央の柱には、塾生が刀で切りつ
けた傷が残っている。

洪庵が開設した除痘館跡 除痘館跡
牛痘種痘を行う場所として緒方洪庵は1849年(嘉永2年)に古手町(現在の道修町)に「除痘所」を開設し、1860年(万延元年)には適塾の南側にある、現在の緒方ビルの所在地に移った。
ビルの壁には緒方洪庵のレリーフとともに、除痘館についての説明が記された「除痘館跡」のプレートが埋め込まれてある。


史跡-047/TTL-246

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