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史 跡
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楠木一族の足跡へ
一休禅師生母の墓 所在地:門真市三ツ島 下三ツ島公園内
最寄駅:地下鉄鶴見緑地線「門真南駅」下車、北へ約5分
門真市は地下鉄鶴見緑地線の終着駅「門真南駅」を約500m程北へ行った所に一休禅師の生母のものと伝わる墓がある。
  現地の説明板によると、南北朝時代の武将の楠木正澄(墓の傍の説明板には正澄は楠木正成の孫とあった)は楠木三郎と称し、河内国倉満庄津田村(現枚方市)の地頭であったが、北朝方の室町幕府の追求から逃れるため、この三ツ島に隠れ住むようになった。
 その正澄の三女(名は不詳)が第100代後小松院天皇(在位:1382〜1412年)の官女になり、後の一休禅師(1394〜1481年)を産んだという。
 「橘姓楠家倉氏系図」には「子細有リテ退官シ一休ヲ産ム早世」と記さ れているとのことであるが、一休禅師の母のことが一般的に知られるようになったのはそう古いことではなく、1961年(昭和36年)に大阪に住んでいた楠木氏の子孫を名乗る人が系図を公開したことによる。
 当地ではこの墓は古くから一休禅師生母の墓として伝承され、祀られていたとのことだが、上記の系図とは関係なく祀られていたのであれば、いつの頃からであろうか。

[参考資料] 『現地説明板』
墓は自然石で、表面に彫られている文字は風化のためか、殆んど解読不能であった。
墓の前の花立ては新しいものが建てられている。
菊水の紋と楠家とあり、子孫の人が建てたものと思われる。
一休禅師生母の墓は公園の一角にあり、フェンスには鍵が掛けられており、墓に近づくことが出来ない。
一休禅師生母の墓のある下三ツ島公園。
墓は正面の樹木の奥にある。

史跡-145/TTL-592

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