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史 跡
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大坂 市場跡 (3) 靭海産物市場跡:
木材市売市場跡
鰹座跡
江戸時代、現在の大阪市西区内には雑喉場魚市場以外にも、多くの市場が開かれていた。これはこの地域を縦横に開削されていた堀川で諸国からの物品の陸揚げが行われたことによるが、これらの殆んどは大阪中央卸売市場の開設での吸収されてしまった。加えて往時の交通の要であった堀川が埋められてしまったため、昔日の面影は全く失われてしまっている。

[参考資料] 『現地説明板』
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
靭海産物市場跡 所在地:大阪市西区靭本町2丁目
最寄駅:地下鉄四つ橋線「本町」下車、東へ約200m、なにわ筋を北へ200m、靭公園「センタコート」への入口、「靭交番前」交差点の角
 靭海産物市場があった永代浜は永代堀東岸にあたる南北に細長い地域で、永代堀は1624年(寛永元年))靭三町(海部堀川町、新天満町、新靭町)の塩干魚商人たちが荷揚げの便のため開削した海部堀川の一部で、その名の起こりは、幕府から「永代諸魚干鰯(ほしか)市場揚場」として、公認されたことに因むという。生魚の雑喉場魚市場、京橋詰の川魚市場とともにこの3ヵ所が魚関係の商人の集住地となった。
 当地は靭三町の年寄りが立会いで支配を行い、塩干魚の荷揚地、干鰯市場として賑わった。大阪周辺の農村では17世紀後半から商業的農業が高度に発達し、干鰯はもっぱら当地では肥料として大量に取引されたため、諸 国からの商人が入り込み、1724年(享保9年)には干鰯俵数は140万俵に上ったと記録されている。
 1931年(昭和6年)大阪中央卸売市場に吸収されたが、最盛期には塩干魚・鰹節・昆布・干鰯の問屋が数百軒も軒をつらねていたといわれる。

靭海産物市場跡 永代浜
靭公園(西園)内の交番の前に建つ「靭海産物市場跡」の石碑。

楠永神社の北側(靭公園側)の鳥居。
下の写真の「永代浜跡」の石碑が建つ場所に「楠永神社」が鎮座している。元は「御霊神社」が現在地に遷宮する前のお宮であった。
永代浜跡の碑-1 永代浜跡の碑-2
「楠永神社」境内に建つ、新旧2基の「永代浜蹟」の碑。かってはこの地には住吉神社が祀られていたが、1907年(明治40年)港住吉神社に合祀さている。
左側の円筒の石碑は1953年(昭和28年)に建てられたもので「うつぼ 辻善之助、山中政七」という名が刻まれている。


木材市売市場跡 所在地:大阪市西区新町3丁目
最寄駅:地下鉄千日前線「西長堀」下車、2号出口を東へ、
白髪橋交差点の東側
 旧西長堀川両岸は江戸時代以来の材木問屋街でもあった。
現地の説明板によると「1622年(元和末年)の頃、土佐藩の申請によって材木市が立売堀川で始まり、土佐藩が蔵屋敷を白髪町に構えると、西長堀川でも材木市が始まり、土佐を始め、日向、紀州、阿波、尾張など諸国の材木が大量に大坂に集まるようになった」といい、これが木材売市場のおこりであるとしている。
 また、「西長堀川の両岸には全国各地の木材を扱う店が軒を並べ、西長堀橋南詰から富田屋橋、問屋橋、白髪橋に掛けての浜側は江戸時代から昭和の始めに至るまで、1年中木材市が開かれていた」とのことである。
 因みに白髪町や白髪橋の名は土佐国(現高知県長岡郡元山町)にある白髪山から来ており、良質の桧を産するのが、この桧で橋を掛けたことから白髪橋と呼ばれるようになったという。
大阪木材市場跡 大阪木材会館
白髪橋交差点の中央分離帯に建つ「大阪木材市売市場発祥の地」の石碑。 この地は現在でも木材関連の業者が多いと見え、業界団体が入居している「大阪木材会館」があった。


鰹座跡 所在地:大阪市西区北堀江4丁目 「西長堀公園」
最寄駅:地下鉄千日前線「西長堀」下車、3号出口上がったところ、
西南の角
 鰹座橋とその西の玉造橋の中間、西長堀川両岸一帯には広大な土佐藩の蔵屋敷があり、土佐の名産品である材木や鰹節・半紙・砂糖などは主としてこの辺りで陸揚げされ、売りさばかれていた。 
 鰹座橋はもとは、土佐橋・土佐殿橋とも呼ばれたが、この橋の北詰には鰹節問屋が多く集まり、鰹座が形成され、鰹節は土佐のほか、薩摩・阿波・上総・陸奥などからも鰹節がここに送られ、大きな取引が行われたという。
 このことから、この橋は鰹座橋と名付けられたといわれる。
西長堀川と鰹座の説明板
 白い看板は「西長堀川と鰹座跡」の説明板で大阪中央ライオンズクラブにより立てられている。
 鰹座が在った場所は現在では「西長堀公園」になっている。また、その一角には08年の4月より「西区花つくり広場」と名づけられた花の苗の育苗所になっており、四季を通じて西区内の公園や道端に植えられる花の苗をボランティアの人たちが種から育てているとのことであった。
改装工事中の公園 鰹座橋交差点
今年の初めに訪れたときは、公園は再整備のため閉鎖され、中に入ることは出来なかった。
地下鉄「西長堀」を上がったところの交差点。
西長堀川は埋め立てられ、無くなっているが、「鰹座橋」の名はそのまま残っている。

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