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地名の由来
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[更新記録]
・09/10/20
亀の橋跡の写真追加
鶴 橋 所在地:大阪市生野区桃谷3丁目
最寄駅:近鉄・JR・地下鉄千日前線「鶴橋」下車、疎開道路を
東南へ約500m
亀の橋跡:大阪市東成区玉津2丁目
鶴橋といえば、JR線、近鉄線の鶴橋駅界隈の「鶴橋卸売市場」や「国際マーケット」が有名だが、私などはホームに漂う焼肉の臭いを反射的に思い浮かぶのであるが、同様の人も多いのではなかろうか。
 その地名の元となっている鶴橋という名の橋は現在は存在しないが、この鶴橋駅から東南の方向約1Kmのところにかっては橋が架かっており、その跡地に『つるのはし跡』の碑が建っている。
 現地にあった説明板によると「日本書紀には『仁徳天皇14年冬11月、猪甘津(いかいのつ)に橋を渡す、すなわちこの処を名付けて小橋という』とあり、文献上では我国最古の橋である」という。
 又、猪飼野保存会の説明板では「小橋は東成区東小橋(ひがしおばせ)町が、猪甘津は猪飼野(現在の桃谷町を含む)が伝承の地で、小橋が鶴橋と呼ばれるようになった。」としているが、天王寺区版の町名の由来には『日本最古の橋は天王寺区の小橋(おばせ)町付近に架けられた』との説明をしており、それぞれの小橋町はこの「つるの橋」とはかなり距離的に離れており、橋が時代と共に南の方に移動してきたのであろうか。

[参考資料] 『現地説明板』
つるの橋-1 橋の由来の説明板によると、江戸時代に書かれた「摂陽群談」には、「昔、この辺りに鶴が多く群れていたため、いつの間にか鶴橋と呼ばれるようになった。」と記載されている、とのことである。
この橋はもと平野川に架けられていたが、1940年(昭和15年)に埋められ新平野川に改修された為、廃橋となり、由緒ある橋を記念するため1952年(昭和27年)に写真の奥の記念碑が建てられた。

「摂陽群談」 1701年(元禄14年)に発行された摂津全域の最も古い地誌。全17巻・17冊から成る。
同じ場所に掲げられていた1701年(元禄14年)の絵図。これには「鶴橋」という名で載っている。 つるの橋-2
御幸森天神宮 『つるのはしの跡』の近く(市バス「御幸通」前)にある御幸森天神宮社。
名前の御幸の森は仁徳天皇がよく立ち寄られた森ということに由来しているとのことで、今から1700年も前の話が伝わっているのには驚かされる。

亀の橋跡 所在地:大阪市東成区玉津2丁目
最寄駅:近鉄・JR・地下鉄千日前線「鶴橋」下車、疎開道路を
東北へ約150m
亀の橋跡 亀の橋跡
「鶴の橋」があったなら「亀の橋」もあったに違いないと思っていたら、やはり存在していた。
亀の橋は旧平野川に架けられていた鶴の橋より、約500m下流に架けられていた。現在は民家の玄関先(シャッターが下りている左側)にその所在を示す石碑が建っている。
東成区のホームページによれば、鶴の橋が出来た後、後の世に鶴の橋に対して亀の橋が出来たものと推定している。

地名-001/TTL-084

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