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所在地:大阪市平野区平野宮町2丁目 「杭全神社」
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田植神事の起源は詳らかではないが、現在も全国各地に色々な形で残っており、日本の祭りの中では、数多く行われている神事の1つである。
当社の神事の成立については、1190年(建久元年)に杭全神社の証誠殿を祀るきっかけとなった熊野権現の像と共に翁の面があり、その口に稲籾を含んでいるのを不思議に思っていたところ、夢に老翁が現れて「人を選んで田に植えよ」と教えたので、猿楽の家である古春増五郎忠勝という者が選ばれ、神面を付けて翁舞を舞ったのが始まりと伝えられている。神事で語られる台詞は、当日頂いたパンフレットには、その全てが記載されていたが、その昔より口伝で伝えられてきたとのことである。
この神事は平野郷の指導者で、宮座の構成員であった七名家が主体となり、それに郷民が協力して行ってきたもので、大阪府の無形民俗文化財にも指定されている。
今年は、神事演目のシテ役を、御田植神事始まって以来、初めて女性が務めるとのことで、話題となっていた。また、儀式に使われる鍬や鋤などの道具類は1682〜1755年(天和2年〜宝暦5年)に平野郷の商人が寄贈した記録があり、文化財保護の観点から今年(2004年)からはレプリカが使用されている。
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[訪問日] 2004年4月13日 |
[参考資料] 『杭全神社お田植神事について』 杭全神社パンフレット |
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@ シテ役を先頭に出演者一同が拝殿に向かう。 |
A 鍬を使って耕す所作を行う。 |
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B 鋤をつけた牛をつれ、田を耕す。 |
C 籾を蒔く所作。この場面で「福の種を蒔こうよ」という台詞が繰り返される。 |
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D 次郎坊という人形に飯を食べさせる。
この後、人形に放尿させる所作があるが、これは田に肥料をやることと関係があるのかもしれない。 |
E 2人の早乙女と男性が、松葉を持ちこれを苗とみなして田植えを行う。 |
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F 参拝者は神事がすむと、蒔かれた籾を拾う、昔はこの籾を種籾として使用したとのことであるが、現在ではお守りとして持帰られる。 |
G 終了後は出演者一同で記念撮影が行われていた。 |