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所在地:堺市北区百舌鳥赤畑町5丁
最寄駅:南海高野線「百舌鳥八幡」下車、北へ徒歩約10分。
地下鉄御堂筋線「なかもず」下車、北西へ徒歩約20分 |
当社の縁起は6世紀中頃、欽明天皇の時代に八幡大神の宣託を受け、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建したと伝わる。
更に遡れば、神功皇后が三韓征討の帰途、この地に立ち寄り、永遠に万人が泰平であるようにと誓願を立て、この地を「万代(もず)」と名付けたという伝承も伝わる。
その後、社運次第に隆昌に赴き、朝野の崇敬いよいよ厚く、王朝時代には社僧48ケ寺、社家360人、神領寺領800町歩を擁したが、戦国時代の兵乱や大坂夏の陣の兵火などで、度重なる災禍を蒙ったたため、昔日の壮観を失い、什宝、古文書等も多く散逸した。
その後もなお、当社は地方信仰の中心として重んぜられ、江戸時代に於ても、宮家や有力者などから奉納寄進などがあり、大阪城代の交替の際には、必ず当社に参拝するのが例とされた。また、毎年の例祭には堺町奉行が参向する定めとなっていた。
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[参考資料] 『百舌鳥八幡宮略記』 百舌鳥八幡宮パンフレット |
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参道の入口に建つ大鳥居。 |
社殿の前に建つ鳥居。「八幡宮」の扁額は1875年(明治8年)、大久保利通の揮毫による。 |
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百舌鳥八幡宮の拝殿。
祭神は応神天皇を主神とし、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神を併せ祀る。 |
社殿を西側から見たところ。右手前から拝殿、幣殿、本殿。江戸時代の建物であるが、1971年(昭和46年)に修復されている。 |
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絵馬殿。建物は新しく、奉納されている大きな絵馬も昭和後期の年代のものが多い。 |
社殿前のくすの木は樹齢7~800年、1970年(昭和45年)大阪府の天然記念物に指定されている。 |
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境内摂社の稲荷社。 |
境内摂社の弁天社。 |
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[2011年7月8日参拝] |
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