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神社めぐり 阿部野神社
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・07/2/3 阿部野神社の名前が阿倍野神社となっていたため訂正。
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阿倍野神社 所在地:大阪市阿倍野区北畠3丁目
最寄駅:阪堺線「天神の森」下車、東北の方向約200m
当神社は、南北朝時代、北畠顕家(あきいえ)と足利軍が戦った古戦場跡地に1882年(明治15年)創建され、北畠親房(ちかふさ)、顕家父子が祀られている。
 北畠親房は後醍醐天皇の親任が厚く、天皇が、吉野へ遷幸の後は、吉野朝の中心人物として、京都回復の計画を進めた。後醍醐天皇崩御後、後村上天皇の帝王学の教科書として、『神皇正統記』を著した。
 北畠顕家は親房の長男で、1333年(元弘3年)『建武の中興』が成立のとき16歳で陸奥守に任じられ、義良親王を奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられた。1336年(延元元年)足利尊氏が叛すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた。尊氏が勢いを盛り返したため、1337年(延元2年)奥州より再度上洛。各地で転戦、翌年3月に当地、阿倍野での合戦後、同5月石津川の戦いで戦死したと伝わる。
なお、墓は阿倍野区王子町「北畠公園」内と堺市浜寺石津町の2ヶ所にある。
 当社は、戦後に火災に遭い、旧本殿を全焼。現本殿は1968年(昭和43年)に再建されたものである。

[参考資料] 『鎮守の森』 阿部野神社パンフレット
阿倍野神社西側の鳥居 阪堺線「天神の森」の方向から入っていくとある鳥居。
階段を上ると本殿の正面でなく横に出るが、この神社で一番立派な鳥居である。
本殿の前にある鳥居から本殿を望む。
当神社には6つの境内社があったが、いずれも説明のパネルが用意されており、初めての参拝者にも行き届いた配慮がなされていた。
阿倍野神社本殿の鳥居
境内に建つ「北畠顕家」の像 境内を入ったところにある「北畠顕家」の像。
高師直との戦いは、師直の軍勢1万8千に対し、顕家の軍勢3千。はじめ顕家方が優勢だったが、各地の転戦で疲労困憊している上、少数であり、時が経つにつれて、ついに壊滅した。最後にはわずか20数騎で、囲みを突破しようとしたが果たされず、石津川で壮烈な戦死を遂げた。時に若干21歳であった。
ご朱印
阿倍野神社朱印-1
[2003年9月19日参拝]

神社-005/TTL-069

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