|
所在地:大阪市阿倍野区阿倍野元町
最寄駅:阪堺上町線「東天下茶屋」下車、南へ約100M |
当神社は平安時代に陰陽師として活躍した天文博士・安倍晴明の生誕地と伝えられ、没後2年の1007年(寛弘4年)の創建である。晴明の子孫と称する保田家が代々社家として奉仕してきたが、幕末社家の没落とともに衰微し、明治時代には文政年間(1818年~1830年)に堺の商人・神奈辺大道心が建立した「安倍晴明生誕地」の石碑と小祠のみであったという。
明治末に復興が計画され、1921年(大正10年)阿倍王子神社の末社として認可され、社家の子孫保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)現在の社殿が竣工した。
先の大戦の時、焼夷弾が落ちたが不発に終わり、「災難除けの神」として徳が大いにあがったとのことである。
また、この地は、竹田出雲作浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』の「葛の葉子別れの地」としても知られている。
|
*『蘆屋道満大内鑑』は1734年(享保19年)大坂竹本座で初演されている。
|
[参考資料] 『阿倍王子神社御由緒』 阿倍王子神社パンフレット |
|
旧熊野街道に面した鳥居と奥に見える社殿。
社殿は1925年(大正14年)の再建になるもの。 |
「安倍晴明生誕地」(右側)と真ん中の石の蓋があるのは「安倍清明産湯井の跡」。
晴明は85歳で没したという説に従い、没年からの逆算では921年(延喜21年)の生まれとなるが、案内板には生年は明確に書かれていない。
生誕碑は江戸・文政年間堺の商人・神奈辺大道心という人が建立した。 |
|
|
|
「葛之葉霊弧の飛来像」。
狐であったと言われている、晴明の母・葛の葉が信田森から飛来する姿をイメージした像らしい。
|
右の写真は苔むしたただの岩ではなく、「鎮み石・孕み石」といわれる石で、古代の船の錨で、鎮めるという意味から、安産を祈る石となり、孕み石と呼ばれ信仰の対象になっている。 |
|
|
|
|
|
|
[2003年12月19日参拝] |
|
|