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神社めぐり
神社めぐり 泉井上神社
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泉井上神社 所在地:和泉市府中町
最寄駅:JR阪和線「和泉府中」下車、駅前商店街を通り抜け、一旦北へ、セブンイレブンの角を東へ、約200M
泉井上神社は「和泉」の地名の発祥になったと伝えられる「和泉清水」を祭る神社である。
その創建は不詳だが、当社の縁起によれば、神功皇后の新羅征伐の年に、一夜にして清水が湧き出したので、この地を和泉郡と名付けたといわれる。
 757年(天平宝字元年)に和泉国が成立すると、現府中町一帯に和泉国府が置かれ、当社はこの国府域のほぼ中央に位置していたという。
鎌倉時代は当社付近は流通の拠点でもあり、市場などが開かれたらしい。 戦国時代までは神領6800石を持ち、広い境内地を所有していたが、織田信長豊臣秀吉により、石高を減じられるなどしたため、往時の勢いは見られなくなった。
 また、当地は元正天皇(在位:715~24年)、聖武天皇(在位:724~49年)の和泉離宮(海の離宮)である「珍努宮(ちぬのみや)」があったところともいわれており、古代より重要な役割を担っていた。

[参考資料] 『現地説明板』 和泉市教育委員会、和泉市産業観光振興会
         『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
泉井上神社入口の鳥居 小栗街道に面して建つ鳥居
神社の入口に建つ鳥居(左側)と小栗街道に面して建つ鳥居(右側)。
泉井上神社拝殿。
祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇のほか、神功皇后に従い、朝鮮に渡った45座をあわせ、神像48体を祀る。 
泉井上神社拝殿
泉井上神社五社総社 境内社の五社総社。
和泉国の大鳥、穴師、聖、積川、日根の五大社を国府の地に勧請し、参拝の弁を図った。
奥にある本殿は1605年(慶長10年)豊臣秀頼が再建したと伝わり、国の重要文化財である。

本殿の裏にあった和泉清水?
石造板状塔婆
境内の一角(本殿の奥)にあった和泉清水?。渇水期に当たっていたためか、思ったほど水の量は多くなかった。
和泉清水を1585年(天正13年)と翌年に豊臣秀吉が催す茶の湯の水として、大坂城に運ばせたと伝える。
 拝殿の脇に「和泉清水」の大きな説明板が建てられていたので、参拝にこられた方数人に、泉のある場所を尋ねたが誰もわからないということであったが、本殿の裏に回って見ると、そこに小さな池があった。
石造板状塔婆。現地の説明版では南北朝時代の「正平3年5月」(1348年)の年号がかろうじて読めるとのことであったが、戦いで亡くなった人々のための追善供養のために建てられたものか。
元は神社南方の和泉寺跡にあったものを現在地に移した。大阪府指定文化財。
[2006年7月15日参拝]

神社-073/TTL-497

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