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神社めぐり
神社めぐり 泉穴師神社
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正成奉納の灯篭へ
泉穴師神社 所在地:泉大津市豊中町1丁目
最寄駅:南海本線「泉大津」下車、駅前の大通りを約1600M
(東南の方向)
泉穴師神社は我孫子の宮ともいい、式内社で和泉五社の一で「泉州二の宮」である。
その創起は不明であるが、737年(天平10年)付けの和泉監正税帳(正倉院文書)には「穴師神戸税」を貯蔵する倉庫が見えており、当寺律令国家が当社の祭事に関わる調度やその財源を設置していたことが判明している。
元は単に穴師神社と称していたが、大和の穴師神社(現奈良県桜井市)と区別するため泉を冠したという。現在の主祭神は、農業の神である天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)と紡織の神である栲幡千々姫命(タクハダチチヒメノミコト)の夫婦神であるが、祭神については古来より諸説あるという。
 穴師とは風の名であることから風神である級長津彦・級長津姫神を祭神とする説、穴師神主の祖である天富貴命と古佐麻豆智命とする説や御食津神を祀ったとする説などがあるとのことであるが、現在の祭神は江戸時代に定着したらしい。
 奈良・平安時代を通して国家の崇敬は厚く、旱魃や疫病発生時などには奉幣があったと思われ、1289年(正応2年)書写の「和泉国神明帳」には「正一位穴師社前」の記録が残る。
南北朝時代には長慶天皇が往時誕生時の祈祷を謝している。
 1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻めの際には兵火により多くの建物が灰燼に帰したが、1602年(慶長7年)に豊臣秀頼片桐旦元に命じて再建された。本殿、摂社、神体などが国の重要文化財に指定されている。

[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
 和泉33ヶ所17番札所聖徳寺へ参拝の折、行きはバスを利用したが、帰りは駅まで歩こうと思い、暫く歩いているとこんもり茂った森が見えてきたので、立寄って見るとそこが泉穴師神社であった。
正面鳥居の向こう側は石造りの橋がかかっていた。

泉穴師神社本殿
拝殿の前には鳥居が2基建てられている。 本殿は三間社流造といわれる建物で、鎌倉時代の1381年(永徳7年)の棟札が残る。現本殿は慶長7年に建替えられたもので国指定の重要文化財。
本殿前にある石灯籠は楠木正成が奉納したと伝わる。
住吉神社本殿 春日神社本殿
摂社住吉神社本殿(上の写真の向って右側)と春日神社本殿(右側写真)は国の重要文化財。
泉穴師神社境内摂社 境内には多くの末社が祀られている。
ご朱印  
和泉穴師神社朱印  
[2006年12月20日参拝]

神社-076/TTL-515

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