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神社めぐり 大津神社
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大津神社 所在地:泉大津市若宮町
最寄駅:南海本線「泉大津」下車、西側出口より、旧26号線を越え、西へ約300M、旧紀州街道に面してあり
大津神社の創建年代は不祥であるが、現在の大津の名の起こりでもある和泉国の国府の外港という意味の「小津(おづ)」と呼ばれていたころに、その泊まりに祀られた小祠であったといわれる。
 大津神社のホームページによると、935年(承平5年)に書かれた『土佐日記』には「小津」という地名が存在しており、それより120年ほど時代が下った頃に記された『更級日記』では既に「大津」と表現されていたとのことであり、「小津の泊まり」は現在の大津神社の鎮座している地であるとしている。
 その後、平安時代末期の1064年(康平7年)に八幡大神を勧請し、以来「若宮八幡宮」と称していたが、1908年(明治41年)政府の命により、この近くの宇多神社、神明神社、菅原神社の3社を合祀し、事代主神社を境内社として合併した。
 また、本殿内に祀られている粟神社は『延喜式』神名帳にある粟神社に比定される宇多大津村粟戸(現式内町)にあった「粟堂」を合祀している。これにより、「大津」の総鎮守として、「大津神社」と改称され現在に至っている。大津神社の前身である「若宮八幡宮」の名は、現在は町名として残っている

『土佐日記』:紀貫之が土佐国守として赴任した後帰国に際し、女性に仮託し記した日本最初の仮名文日記。
『更級日記』:菅原孝標の女(むすめ)が1020年(寛仁4年)~1058年(康平元年)間の出来事を記した日記。
[参考資料] 『大津神社ホームページ
大津神社正面鳥居 大津神社に祀られている神々の名
大津神社正面鳥居。
日没近くに参拝したので、社務所が閉まっており、この神社の詳しい縁起などが聞くことが出来なかった。
鳥居の横には他の神社によくある縁起を記す代わりに祭神の名前が書かれてあった。これには
・品陀別命 ・天太玉命・事代主命 ・天児屋根命
・素戔嗚尊 ・菅原道真公・船玉神 ・天照皇大神
・他八祭神と多くの神々の名が有り、この神社の変遷の歴史でもある。。
大津神社拝殿。
拝殿に立てかけてあった看板には、明治41年の合祀以来約100年が経過し、社殿屋根が老朽化して来たため、平成16年に屋根の吹き替え工事をしたとのことであった。
大津神社拝殿
摂社・事代主神社 末社・稲荷社
摂社の事代主神社(左側の写真)と末社の稲荷社(右側の写真)。
この神社の近くに戎町という町名があり、現在小学校がある場所にかっての事代主神社があった。

[2006年11月3日参拝]

神社-077/TTL-516

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