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所在地:泉佐野市長滝
最寄駅:JR阪和線「日根野」OR「長滝」下車、コミュニティバスで
「蟻通神社前」下車、すぐ |
当社はその創起は社伝では開化天皇(在位:前158~前98年)の御世と伝わる。「延喜式」神名帳の和泉国62座の内、日根郡10座の中には記載されておらず、「ありとほしの神」が文献上初出は[紀貫之集 巻九*(1)」と思われる。これは紀貫之が945年(天慶8年)以前、紀伊国からの帰途馬が倒れ、「ありとほしの神」に和歌を奉納したところ馬の病気が治ったという。この故事は清少納言の「枕草子*(2)」にも見え、併せて「蟻通」の社名の由来を記している。但し、この貫之の故事は和歌山県田辺市にも鎮座する蟻通神社の故事とする説も古くからある。
1289年(正応2年)に書写の『和泉神名帳』には和泉国五佰参拾肆社(534社)が記され、日根郡19社のうち、従五位上として「有通社」の名が見える(続群書類従
巻三上)。
戦国時代には紀州根来寺の領地となっているが、その余波を受けてか豊臣秀吉の根来寺攻めの際、兵火により焼失している。
1603年(慶長8年)豊臣秀頼が当社の再建を命じるなどして次第に復興を遂げ、江戸時代に入り、
岸和田藩主岡部氏も厚い崇敬を示したという。
当社はかっては、現在地より数百メートル北へ行った熊野街道に沿ったところにあったが、戦時中の1942年(昭和17年)陸軍飛行場建設のために、現在地に移転をさせられた。戦前の軍部というのは神をも恐れぬ存在であったらしいが罰当たりなことをしたものである。 |
*(1) 『紀貫之集 巻九』に詠われている和歌は「かき曇り あやめもしらぬ 大空に ありとほしをば 思ふべしやは」。また、『古今和歌六帖 巻二』には「かきくもり あやめもしらぬ おほそらに ありとほしをは いかかしるへき」とある。
*(2) 『枕草子 226段』には蟻通の名の由来として、「昔、時の帝は40歳以上のものは都を追放せよとの命を出したが、孝行者の中将はこの命に背き、都に両親を住まわせていた。あるとき唐の帝が我が国を掠め取ろうと3つの難題を突きつけてきた。そのうちの1つが「七曲りの法螺貝に赤い糸を通せ」というもので、帝は知恵者を呼ぶが誰も答えることが出来ず困り果てていたところ、かの中将が老親に教えられ3つの難問を見事解決し、その褒美として、晴れて親と同居を許されたという。
その内上記の問題の解決法というのが「大きな蟻に糸をつけて穴に入れ、もう一方の口に蜜を塗っておけば、蟻は蜜の香をかいで七曲の玉を通り抜け、玉に糸を通すことが出来た」というもの。
この中将が神となったのか、あるとき、この神のもとに詣でた人の前に現れ、「七曲にまがれる玉の緒をぬきて ありとほしとは 知らずやあるらん」と託したと記す。
また、室町時代には世阿弥が謡曲「蟻通」を作っている。
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[参考資料] 『由緒』 現地説明碑(大阪教育大学名誉教授 文学博士 芝野正太郎記)
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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蟻通神社正面の鳥居。
現在の蟻通神社はこじんまりとした造りであった。 |
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蟻通神社拝殿(右の写真)と能舞台(手前の暗く写っている建物)。左の写真は能舞台の全景
1660年(万治3年)岸和田藩主岡部宣勝が社殿や能舞台を建立している。
本殿の祭神は大名持命(オオナムチノミコト:大国主命)を祀る。 |
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境内一角にある「冠の渕」。
紀貫之が都に帰る途中、蟻通神社の前を通りかかると馬が暴れだし倒れてしまったが、その際貫之は落馬し、冠がそばの渕に落ちたと伝わる。、その時の渕は現在は無くなっているが、境内の一角に再現され、「紀貫之大人冠之渕」の石碑と歌碑が建てられている。
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神社に仏足石とは珍しいが、この仏足石は現在の長滝駅近くに戦国時代の頃まで存在した禅興寺に在った。同寺は当社の神宮寺とも伝えられる。天文(1532~55年)ころまで存続していたと伝えられるが、その後廃絶した。 |
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境内に建てられている「由緒」碑。
この碑には蟻通神社の創起は『弥生時代中期 開化天皇の紀元93年』と年代まで書かれていたがこの紀元が①西暦なのか、②和歴(皇紀)なのか、③開化天皇の在位期間中の年を表わすのか、よく分からなかった。
開化天皇は記紀伝承上の第9代天皇であり、実在したとすればそれは西暦では紀元前の筈だが、また和歴とするなら皇紀93年は第2代の綏靖天皇の御世であり、在位期間中の出来事とすれば開化天皇は在位60年とされるのでこれも計算が合わない。
また、弥生時代中期ともあったが、神話の中に現実の歴史を融合させようとする意図がよく分からず、神社の創起を表わす表現として「弥生時代」というのは何故かしっくりこない。
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境内にあった道標。
『右ハ 紀州みち、左ハ ありとをし 是より壱町』とあった。かっては街道筋に建てられていたものらしい。 |
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[2007年3月29日参拝] |
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