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所在地:阪南市石田
最寄駅:南海本線「尾崎」下車、南海ウイングバス(循環)で
「波太神社前」下車、すぐ。 |
当社の創建年代は不詳だが、『延喜式』神名帳には「波太神社」と見える。古くは鳥取大宮、波太八幡宮と呼ばれた。
当社に伝わる『八幡宮来由記』によると、日根郡鳥取郷に居地を持っていた天湯河板挙(あめのゆかわたな)は、垂仁天皇の皇子に鵠(くぐい:白鳥)を献じ、鳥取姓を賜った。その後、天湯河板挙は波太邑(桑畑字奥宮)に社を建て、祖神の角凝命を祀ったという。
その後、永徳年間(1381~84年)に兵火のために、焼失、南朝方であった鳥取氏は山名氏清に攻められ滅亡した。残された同氏の耆宿は波太村より、当地に移し、貝掛の指出森より八幡宮を勧請し、相殿に合祀した。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻め兵火で焼失、1600年(慶弔5年)豊臣秀頼の命により片桐旦元が修復を加えたが、1638年(寛永15年)に本格的に再建された。
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[参考資料] 『現地説明版』 阪南ライオンズクラブ
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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波太神社の参道に建つ鳥居。 |
拝殿に楼門がある様式は京都石清水八幡宮と同じデザインであるが、1回り小さくしたという印象。
本殿は見えないが江戸時代初期の特徴が残る「三間社流れ造り」で、1638年(寛永15年)の再建。
国の重要文化財に指定されている。
本殿にはこの地の豪族であった鳥取氏の祖と伝えられる波太宮(角凝命:つのこりのみこと)と八幡宮(応神天皇)を祀る。 |
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拝殿前に建つ片桐旦元の寄進と伝わる灯篭。
1600年(慶長5年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として当社を修復した時、且元が寄進したといわれている。 |
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鳥取神社の主祭神は天忍穂耳命で、元は紀州街道は山中の宿の山中神社に祀られていた。往時は山越えをする旅人たちが健脚を祈願したことから、今も「足神さん」として信仰が厚い。 |
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鳥居神社の鳥居。
鳥取神社は波太神社の参道に平行してあり、鳥居は波太神社の鳥居と並ぶ形で建てられている。 |
拝殿の前に小さな鳥居が2つある。向かって左は鳥取鳥戎社(祭神は八重事代主命))と右側は鳥取神社(祭神は天忍穂耳命) |
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[2007年5月18日参拝] |
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