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所在地:八尾市八尾木北5丁目
最寄駅:JR大和路線「志紀」下車、東弓削町の「弓削神社」の裏の道を北へ、府道182号を渡り約200M、弓削神社より約15分。 |
由義神社(ゆげ)は「由義宮の跡地に建立され、その規模、格式ともに近隣に比を見ない堀を巡らし、森をようした荘厳な式内河内5社の1社で立派な旧社であった。」と境内の碑文に刻まれてあったが、『延喜式』神名帳では現在の八尾市内の神社は18社24座(若江郡9社13座、大縣郡1社1座、高安郡8社10座)が記載されているが、これに該当する神社は特定されており、その中に当社に該当するところは見当たらずこの「式内河内5社の1社」という記載の根拠は不明。
中世の度重なる兵火で焼失したが、1686年(貞享3年)素盞嗚尊、少名彦名命を祀り、神社を再建し、社名もそのときに由義神社と称し、現在に至っている。
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[参考資料] 『由義神社由来』現地説明碑 由義神社改修委員会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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由義神社正面鳥居。奥に拝殿が見える。
全てが新しい感じがする神社であが、1983年(昭和58年)に大規模な修復工事が行われている。 |
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由義神社本殿(右側の写真)と拝殿(左の写真)。 |
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この狛犬は1796年(寛政8年)の奉納で、八尾市にある神社の中では3番目に古い狛犬だそうである。
保護のためか、屋根つきのスペースに納まっている。右側は阿像(雌)、左側は吽像(雄)。 |
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境内に建つ「由義宮旧址」碑。
由義宮(ゆげのみや)は称徳天皇・弓削道鏡の時代に奈良・平城京に対し、西の京として造営された。
大和川が付替え以前の若江郡の南部(現在の八尾市八尾木地区、東弓削地区)を中心に所在したと推定されるが、道鏡の失脚とともに歴史に埋もれてしまい、現在に至るもその遺構は発見されていない。
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[2007年5月15日参拝] |
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