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霊場参拝
おおさか十三仏 おおさか十三仏
第13番
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護国山太平寺 所在地:大阪市天王寺区夕陽丘町
最寄駅:地下鉄谷町線「四天王寺前」下車、北口すぐ
  当山の創建は1663年(寛文3年)ァ越和尚が開山の曹洞宗の禅寺で、山号は護国山という.。
幕末までは朝廷をはじめ加賀藩大阪蔵屋敷の菩提寺として隆盛を誇ったとのことである。1945年(昭和20年)3月の空襲で加賀蔵といわれる土蔵1棟を残し、灰燼に帰した。
境内は戦災と戦後の都市計画で狭くなり、すっかり様子が変わったが、本堂の再建など復興も進み、現在に至っている。

*ァ越(ぎんおつ)和尚 加賀国大乗寺21世で字は超山(ちょうざん)、俗姓は中野氏。1581年(天正9年)生まれ。晩年近江の蓮泉寺、摂津の大平寺を創立。1672年(寛文12年)世寿92歳を以って示寂。

[参考資料] 『曹洞宗人名事典』 国書刊行会編
大平寺山門 谷町筋に面したお寺の山門。3月13日の「十三まいり」は『智恵もらい』の行事として人々に親しまれている。
本堂は鉄筋コンクリート作りのモダンな建物である。 大平寺本堂
境内に建つ北山不動尊
境内の一角にある「北山不動尊」。この不動尊の地下は元禄年間に名医とうたわれた北山寿安(別名・薮井玄以)の墓であったと伝えられる

北村寿安:江戸時代の医者。現在の道修町で開業。当時、古臭い漢方に頼っていた治療に対し、寿安は中国の新しい治療法を導入。父栄宇(中国人)から受け継いだ薬草の調合法をオープンにしたので、これを習おうと全国の薬種商が寿安の家の周りに住みついたのが、薬問屋道修町の始まりと言われている。裕福な患者からは礼金を多く取り、貧しい人からは治療代を取らなかったところから「偏屈医」とも言われていた。
1701年(元禄14年)没、行年は不詳。
ご朱印
おおさか十三仏霊場
太平寺朱印-1
[2006年8月23日参拝]

寺院-005/TTL-025

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