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所在地:大阪市中央区心斎橋筋2丁目
最寄駅:御堂筋線「心斎橋」下車、御堂筋を南へ三津寺筋角 |
当山の縁起は745年(天平16年)聖武天皇の勅命により、行基菩薩が創建したのを開基としているが、それに遡り、応神天皇の御墓所として行基菩薩が楠を植えたことを以って、揺籃としている。
この時代、遣唐使船が船出をしたという難波津は、当寺付近であるという説もあり、時代は下がって1576年(天正4年)織田信長の「石山本願寺」攻めの際には、信長の家臣原田直政(塙重友)の攻撃を受けるなど、中古から近世の交通の要所であったことには違いない。
また、文学では近松門左衛門の『曽根崎心中』の中にも登場し、最近では上方落語『まめだ』(三田純一作)の舞台にもなっている。 |
『曽根崎心中』の台詞は『悟らぬ身さえ大覚寺さて金台寺大連寺廻り。廻りて是ぞはや。三十番に。三津寺の大慈大悲の頼みにて。かくる仏の御手の糸。白髪町とよ黒髪は恋に乱るる妄執の。夢をさまさん博労の。』とある。
ここでいう三十番は『曽根崎心中』に登場する「大坂観音霊場33ヶ所めぐり」で、三津寺は30番の札所であったが、現在ではこの観音めぐりの中には、既に存在しない寺院もある。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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お寺の前の通りは「三津寺筋(みってらすじ)」と呼ばれ、ミナミを代表する飲み屋街で夜は大変賑わうところである。 |
山門から入った正面に見える本堂。参拝したときは丁度彼岸法要のための飾り付けの最中であった。 |
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御堂筋に面したお寺の建屋。1933年(昭和8年)に御堂筋拡張工事の際建てた、鉄筋コンクリート作りである。1945年(昭和20年)の空襲では戦災を免れた数少ない建物のひとつ(この辺りで残ったのは「そごう百貨店」とこの建物だけだったそうである)。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2003年9月21日参拝] |
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