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所在地:大阪市東住吉区桑津3丁目
最寄駅:市バス「桑津西口」下車東へ、最初の信号を南へ約250M
信号を東へ、突き当たり、桑津神社前 |
当山の縁起は、古くは「金剛院」と称せられ厄除祈願道場として栄えていたが、1615年(元和元年)大坂夏の陣に合戦の場となり、兵火で寺は焼失したため、詳細は不明とのことである。
この時期、寺は荒廃したが、1653年(承応2年)桑津村の篤信者富井部氏などの霊夢に不動明王が出現され、寺の再興を告げられたため、紀州より観弘実誉阿闍梨を招き堂宇を再興、寺号を心王山殊勝院京善寺と改めた。
紀州根来寺の不動明王と同木同作(興教大師の作と伝えられる)の不動明王を勧請し本尊とした。以来、「身代り厄除け不動」「くわづ不動」として多くの人々の信仰を集め、現在に至っている。 |
興教大師:1095年(嘉保2年)肥前国藤津庄(佐賀県鹿島市)に生まれた。紀州根来寺を開山。高野山での修行の後、根来山に移り瞑想法に力を注いだ。また、密厳浄土への往生など、わかりやすい教えを説き、真言宗の中興の祖と仰がれる。1143年(康治2年)48歳で没す。 |
[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行
『京善寺縁起』 京善寺パンフレット |
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山門は(平成元年)の再建。まだ木の香がするようである。 |
当山は幸い戦災を免れたが、近年傷みが激しくなったため、本堂は1980年(昭和55年)に建て直したとのことである。 |
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本堂の前にある仏跡石。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
近畿三十六不動尊霊場 |
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[2003年11月8日参拝] |
[2003年11月8日参拝] |
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