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所在地:大阪市生野区舎利寺1丁目
最寄駅:JR「桃谷」下車、市バス「杭全」行きで「生野消防署前」
下車、西へ入る約300M |
この寺院がある町名にもなっている舎利寺は正しくは、南岳山舎利尊勝寺という。その縁起は寺伝によれば、約1400年前、聖徳太子の創建と伝わる。
この地は生野長者の旧地と言われ、長者に言葉の不自由な子が生まれたが、四天王寺を創建するために来ていた聖徳太子がこのことを知り、その原因を太子が前世で仏舎利3顆を与えたためと云い、それを吐くことを命じたところ、長者の子供は3つの仏舎利を吐き出し、言葉は普通に話せるようになったという。太子は3つの仏舎利のうち、1つを法隆寺に、1つを四天王寺に、残った1つを自筆の御影と共にの長者に付与された。大変喜んだ長者が屋敷内に堂を建て、仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の始まりと言われる。
当山の中世の寺歴は不詳であるが、戦国時代末期の1547年(天文16年)両細川軍がこの付近で対決した、いわゆる舎利寺合戦で荒廃した。その後、1672年(寛文12年)徳川家綱が黄檗山万福寺の2代木庵に当地を与え、復興させた。
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[参考資料] 『現地説明板』 舎利尊勝寺 |
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山門の扁額は木庵の揮毫による。 |
本堂は1945年(昭和20年)の空襲で全焼、再建した後も、ジェーン台風で倒壊するなど苦難の歴史がある。本尊は釈迦如来。 |
境内には、幕末の1852年(嘉永5年)に32代住職幸道により、西国三十三カ所観音霊場が再現されている 。それぞれのお寺のご詠歌と本尊の石仏が置かれているが、その大きさには圧倒される。
ゆっくり回っても30分足らずで、巡礼が完遂出来、忙しい人にとってはありがたいお寺でもある。以下の写真はその一部分。 |
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西国三十三ヶ所の再興した花山天皇像。 |
第20番善峰寺(奥)と第22番総持寺(手前)。 |
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第14番三井寺。 |
第27番円教寺の石仏。 |
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第29番松尾寺。 |
番外の信濃善光寺。 |