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所在地:阪南市箱作
最寄駅:南海本線「箱作」下車、駅前の一方通行を南へ、川を渡り2つ目の四角を右(西)へ、南海線の踏切を超えてすぐ。 |
当山は過去帳によれば、戦国時代の1497年(明応6年)枯木大禅師により開山されている。
当山では枯木大禅師を中興の祖としているが、禅師の経歴の詳細や、それ以前の寺暦については不明である。
貞享年間には既に泉州32番の札所とされており、もとは天台宗とも伝えられているが、1696年(元禄9年)の、この地方の『寺社改帳』には臨済宗妙心寺末と記録されており、現在もその法灯は受け継がれている。
元禄年間、この地の住民山中庄兵衛の篤志があったと伝えられるが、。その後、幾度かの盛衰を繰り返し、また明治初年の神仏分離令以降の廃仏毀釈運動にも耐えて今日に至っている。
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[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
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観音寺の山門。
見事な松の木が塀越しに枝を伸ばしている。 |
観音寺の本堂。
本堂は江戸時代の建物だそうだが、2002年(平成14年)に外観は修復工事を行っており、見た目には新しく見える。
本尊は聖観音菩薩で、本堂に上がらせて頂き、拝むことが出来た。 |
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| 見事な形の臥龍松。
この松は2代目の松で、初代の松は枝が10m以上もあったそうで、松の横に「臥龍松」の石碑があり、裏側にはには「寛政4年(1792年)」とあった。
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本堂の前に植えられていた蘇鉄。
樹齢は100年を越えるとのことで、写真の右の方にあった枝はその重さのために折れてしまったらしい。 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2007年5月18日参拝] |
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