  |
所在地:吹田市元町
最寄駅:JR東海道本線「吹田」下車、駅前パチンコ屋の前を入る約200M、大通りを右へすぐ |
当山の開基は行基菩薩で、その縁起は、735年(天平7年)行基が民衆救済のために諸国を巡行したおり、「吹田に聖なる香木がある」との夢のお告げがあり、当地に来てみると、そのお告げ通りに一本の香木が浜辺に打ち上げられていた。行基はその香木で聖観音菩薩像を彫刻し、その場所を聖地として堂を建て、聖観音菩薩像を本尊としたと伝わる。
このお堂は浜辺に建てられたので、「浜の堂」と呼ばれ、行基菩薩の話を聞くため常に千人を越す人たちが集まり、智慧を授かるために日夜光明が絶えなかったので、誰言う事なく、山号は「慧日山(えにちざん)」となり、「常に光明を放つ寺、常光寺」と呼ばれるようになったと言われる。
1177年(治承2年)隣村の吉志部にあった圓満井流の猿楽(能楽)発祥の地である円満院を合併して、寺名を「常光円満寺」と改めた。
1396年(応安2年)足利義満は、常光円満寺の本尊・聖観音菩薩に深く帰依し、祈願所として自らの武運長久を祈り、以来、足利将軍家の菩提寺として足利尊氏以下歴代の祖先の位牌をまつり、回向をつとめている。
その後、応仁の乱の兵火により、寺領荘園のすべてを失ったが、1671年(寛文11年)教範和尚によって再建。現在の堂宇は1981年(昭和56年)に老朽化した本堂が建替えられ、境内も整備、一新されたものである。
|
[参考資料] 『常光円満寺』 常光円満寺パンフレット
『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
 |
通りに面して山門(仁王門)がある。 |
本堂(浜の堂)には本尊「聖観世音菩薩(秘仏)」、脇仏に「弘法大師、薬師如来(いずれも秘仏)」が安置されている。 |
 |
 |
 |
この梵鐘は室町時代、足利将軍が当山に帰依した時に造られたと伝わる。 |
本堂裏に「西国33ヶ所霊場」のお砂踏み壇がある。
各札所の本尊の前の敷石の下には、各霊場の砂にインド・ガンジス川の聖水を灑ぎ、加持が施されている。 |
 |
|
|
摂津八十八ヶ所霊場 |
|
|
 |
|
|
[2005年1月18日参拝] |
|
|