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所在地:茨木市大門寺
最寄駅:JR東海道線「茨木」下車、阪急バス「車作」行き、
「大門」下車、ゴルフ場の道、クラブハウスの手前を右へ |
当山は寺名を「観音大門寺」、「青龍寺」とも称し、その開基は寺伝によれば、光仁天皇の子で桓武天皇の兄の開成皇子が、宝亀年中(770〜80年)霊地を求め、当地に来たとき、多聞天の化身に会って、草堂を結び、現本尊を刻んで安置したのに始まるという。
その後、弘法大師がこの地に来て安居9旬にも及び、金剛、蔵王の2像を刻み守護神とし、清和天皇の病気平癒を祈願して諸堂が建立された。堂塔は12世紀末の建久年間(1190〜9年)に地震で、次いで14世紀中葉の元弘年間(1331〜4年)には兵火のために烏有に帰し、現在の建物は江戸初期の1642年(寛永19年)に、中興開山快我上人により再建され、現在に至っている。
かっては当寺に蔵され、現在諸家に散在して残る「大門寺一切経」は平安末より鎌倉中期の100年間に、僧経尊、僧長賢が願主となり、一大事業として取り組まれた。北摂を中心に善男善女が参加して筆写し、その数は数千巻にも達し、現在は当寺に77巻のみが伝わっている。
また、江戸中期頃、今西行として活躍した歌人似雲法師は当山8世住職守詮とも親交があり、当寺へしばしば逗留して和歌を詠んでいる。
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[参考資料] 『神峯山 大門寺』 大門寺パンフレット
『日本歴史地名体系(大阪府編)』 平凡社 |
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訪れたときは丁度、お寺の周りの斜面は梅の花が満開であった。 |
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上の写真の梅林を横に見ながら行くと山門が見えてくる。
山門に架かっているも木札には「津国八拾八ケ所
第五十番大門寺」とあり、摂津国を正式名「津国(つのくに)」で表示してあった。 |
本堂に祀る本尊の木造聖如意輪観音坐像と木造四天王立像は1990年(平成2年)国の重要文化財の指定を受けている。(仏像はいずれも藤原期の作品) |
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本堂前の道向かいにある、当寺の鎮守12社権現。 |
本堂の横にある弁天堂。 |
木村常陸介重茲の墓 |
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1595年(文禄4年)豊臣秀次が高野山で切腹をしたとき、秀次の重臣であった越前・武生城主木村常陸介重茲も同じく死を命ぜられ、当寺で切腹したと伝わり、彼の遺品の刀や経帷子などが残る。
墓は現在はゴルフ場の中に取り込まれており、眼下にコースが広がり、人の往来が激しい。あの世の常陸介も驚いていると思われる。なお、大阪夏の陣で戦死した木村重成はこの常陸介の子供であるとする説もあるが、不明な点が多いとされ、確証はない。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
摂津三十三ヶ所霊場 |
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[2005年3月9日参拝] |
[2005年3月9日参拝] |
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