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所在地:茨木市忍頂寺
最寄駅:JR東海道線「茨木」下車、阪急バス「忍頂寺」行き、
「寿命院前」下車、北へ約200M |
忍頂寺の開基は581年(仁寿元年)勝尾寺三世証道上人の弟子参忠(三澄)が国家鎮護のため、神岑山寺を建立したのに始まるが、860年(貞観2年)清和天皇より忍頂寺の寺号を賜り、勅願寺となった。
『摂津名所図会』では、当寺の開基を、北摂の多くの寺院と同様、開成皇子としているが、当寺が山岳修験院としての性格を色濃く有していたからではないかと思われる。
鎌倉時代には京都仁和寺の支配を受け、田地を開発して寺領の発展を図ったが、南北朝期には軍事拠点となり、また、寺伝によると、仁の乱で堂宇は焼失している。
永禄年中(1558〜69年)には仁和寺の支配を離れ、足利義昭や織田信長の保護を受けているが、後には、高山右近に切支丹宗の伝播のため、堂宇が焼かれ寺領も没収されている。
寛永年中(1624〜43年)、石橋院榮尊がお寺の再興を図ったが、再び荒廃した。最盛期には23もの寺坊を有する大寺院だったが、盛衰を繰り返し、1支院であった寿命院が法灯を継いで、現在に至っている。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系(大阪府編)』 平凡社 |
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府道1号線、バス停「寿命院前」から100m程登ってくると山門に到る。
山門に架かっている扁額は
変わった字で右から「忍頂寺」
と書かれている。 |
本堂に架かっている扁額は1926年(大正15年)の揮毫で、この時期に本堂、観音堂、鐘楼が再建されたことが記されている。本尊は薬師如来を祀る。
扁額には当山の縁起とし
て行基菩薩の発願により
、薬師如来を彫刻し堂宇
を建立。次いで、開成皇子
が訪れ、守護神を勧請し
たと書かれている。 |
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境内の一角に、「元亨辛酉(1321年)七月十五日
金剛仏子定盛」と、銘の刻まれた高さ1.8mの花崗岩製の五輪塔がある。
形が完全な形であることにあわせ、時代判定の基準となる貴重なもので、大阪府の指定文化財となっている。 |
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お寺に隣接してある「八所明神」。忍頂寺の鎮守で、八幡大神、天児屋根、加茂別雷、大山咋など8神を祀る。
本殿は鎌倉時代の建造で、床下の柱には高山右近が取り壊そうとしたトビ口の跡が残るという。 |
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摂津三十三ヶ所霊場 |
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頂いた散華 |
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[2005年3月9日参拝] |
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