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在地:池田市綾羽1丁目
最寄駅:阪急宝塚線「池田」下車、商店街を北へ、呉春酒造倉庫を
右へ曲がり、突き当たりを左へ |
当山の開基は天平年間(729〜49年)行基菩薩と伝わり、元は池田と豊中の境にある待兼山山頂(現大阪大学豊中校舎)にあり、永禄年中(1558〜70年)までは池田城主池田筑前守の祈願所であった。山号の待兼山はそれに因んだものと思われる。
その後、寺院は兵火のため全焼し、1556年(弘治2年)当時の住職が本尊のみを背負い、当地まで逃れ、ここに小堂を建て安置したという。
この寺は旧池田城のすぐ近くにあり、1578年(天正6年)、荒木村重が織田信長から離反した際、伊丹城の支城であった池田城も攻められ、落城後は信長軍の陣地となるなど、戦国末期のたび重なる兵火により、池田の町屋も焼かれた。当山は1598年(慶長3年)僧静弁が中興した。
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[参考資料] 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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お寺は住宅地の中にあり、池田の旧市街地の中を曲りながらたどり着く。
山門(薬王門)は新しく近年建て替えられている。 |
本堂も新しい。境内には色々な花が咲き乱れており、桜(右側)と山つつじ(左側)が満開であった。 |
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金毘羅権現を祀るお堂。 |
桜(手前の木)の奥に見えるイチョウの木は池田市の保存樹に指令されている。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2005年4月13日参拝] |
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