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所在地:箕面市栗生間谷
最寄駅:北大阪急行「千里中央」からバス「北摂霊園」行き、
「勝尾寺山門前」下車: |
当山の草創は平安中期以降流布していた縁起によると、727年(神亀4年)善仲、善算という双生児の聖者が金字大般若経書写の大願を立て、ここに入山修行していた。その後、この2聖を師として受戒した
開成皇子がその大願を受け、宝亀年間(770〜81年)に写経の大功を成し遂げたという。皇子は般若台に600巻の大般若経を奉納し、一寺を建立し弥勒寺と称したのを始まりと伝える。
平安時代、6代座主の行巡上人は清和天皇の玉躰安穏を祈って効験を示したことから、天皇の勅により「王に勝った寺(勝王寺)」と命名された。しかし、寺側は「王」を「尾」に差し控え、勝尾寺と号することとなったという。
平安時代の末期、源平の争いの煽りで、源氏の軍勢の侵入、略奪に遭い、全山殆ど焼失したが、1185年(文治元年)から1192年(建久3年)にかけ、再建が進められた。
近世に入り、1616年(元和2年)、1770年(明和7年)と大火に見舞われているが、都度再建し、現在に至っている。 |
[参考資料] 『日本歴史地名体系(大阪府編)』 平凡社 『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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山門は1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建された。
1996年(平成8年)修復を終えている。
横に植えられている桜との調和が取れ、美しい風景である。 |
本堂も1603年(慶長8年)豊臣秀頼により再建されている。真新しい感がするが、1999年(平成11年)に修復がなった。 |
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境内で最も目立つのが、この多宝塔である。
大日如来を中心とする密教金剛界、胎蔵界の五尊を祀っている。 |
薬師堂は勝尾寺最古の現存建築物で、鎌倉初期の建造物。寿永3年(1184年)一ノ谷合戦のとき、平家の落武者が潜伏していると聞いた源氏の武将が、数十に及んだ堂塔伽藍をことごとく焼き尽した。戦後、源頼朝が梶原景時、熊谷直実らに命じ、堂宇の大半を再建したと伝わる。 |
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大師堂の廻りには弘法大師ゆかりの四国88ヶ所の御砂踏み場が建っている。 |
勝ちダルマ納め。荒神堂の桟にはぎっしりと置かれているダルマさん。勝っても負けてもここに達磨を納める。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
摂津三十三ヶ所霊場 |
頂いた散華 |
西国三十三ヶ所霊場 |
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[2005年4月14日参拝] |
[2005年4月14日参拝] |
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[1998年11月28日参拝] |