|
所在地:堺市西区浜寺石津町東三丁
最寄駅:阪堺線「石津」下車、東へ約600m |
当山の開創の年代は明らかでない。かってはここから約500m程東にある乳岡(ちのおか)古墳の山上に建てられていたが、古墳の発掘調査のため、1980年(昭和55年)に現在地に移っている。
この乳岡古墳はそれ以前の発掘調査で和泉砂岩製の長持形石棺や玉製の腕輪が出土しており、百舌鳥古墳群では最も古い古墳であることが確認されている。古墳に葬られているのは野見宿彌とも、乳朝臣(ちのあそん)とも伝える。いずれも伝説の域を出ないが、当寺の縁起は当地豪族かその一族の菩提寺がその発祥と見られる。
以後の歴史は不明であるが、養雲尼が貞享年間(1684〜88年)に再興し、以来泉州33ヶ所霊場の第11番札所として現在に至っている。
念仏寺は元は石津太神社の神宮寺であったといわれ、地元に人からは「山のお寺」と呼ばれていた。山上に阿弥陀堂、観音堂、鐘楼などがあったが、これらの堂宇は現在地では全て鉄筋コンクリート造りで再築されている。
|
[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
|
念仏寺山門。
手前の金網は浜寺石津東公園の柵。山門と公園の間に狭い道があるが、門全体をフレームに入れるため、公園の中から撮った。 |
鉄筋コンクリート作りの念仏寺本堂。
本堂、山門、観音堂とも同じカラートーンで統一されている。 |
|
|
|
境内に建つ観音堂。 |
山門の横に並ぶ石仏。この寺で、唯一時代を時代を感じさせる。 |
|
|
|
和泉三十三ヶ所観音霊場 |
|
|
|
|
|
[2006年5月26日参拝] |
|
|