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所在地:和泉市仏並町
最寄駅:JR阪和線[和泉府中]下車、南海バス「槙尾山口」行きで「槙尾中学校前」でオレンジバスに乗換、「神社前」下車すぐ |
仏並寺の縁起は、伝わるところでは、当地の池辺氏の祖先池辺直氷田(いけべのあたいひた)が蘇我馬子から授けられた仏像二体を、和泉国横山郷の自宅の近くに仏殿を造って奉安したという。仏並寺は この池辺直氷田の営んだ仏殿が起源とされ、今から約1360年以上も遡ることになる。
和泉西国会発行の『観音さま』には池辺氷田の子徳那(とくな)も、さらに弥勒菩薩・観音菩薩の両尊を並べて奉安したと伝える。仏を並べて安置し、奉安したところより、寺名が出来たとしている。
また、仏並の名は地名にもなっており、その名の由来は仏並寺と同じ起源だとされるが、1605年(慶長10年)発行の「和泉国絵図」には、この在所辺りに「仏阿弥村」の記載があるとのことで、仏並は仏阿弥陀の転化ではとも考えられ、仏並村の名が定着するのは、もう少し時代が下がってからである。仏阿弥陀村の名前については別の伝承があるのかもしれない。
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[参考資料] 『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
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仏並寺の山門。
山門脇に建てられてあったの「山門の由来」によると、この山門は1967年(昭和42年)堺市七道にある相見寺の改築の際、譲り受けて移築している。
山門は1700年(元禄13年)建立の由緒のあるもので、建立当時の原型を保っているとのことである。 |
仏並寺の本堂。
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| 仏並寺の鐘楼。かなり年代ものと思われる。
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2006年6月6日参拝] |
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