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所在地:和泉市観音寺町
最寄駅:南海本線[泉大津]下車、南海バス「父鬼」行きで「芦部」
下車、「15番・成福寺」の前の道を南西約500M |
観音寺の創建はいつの頃まで遡れるのか、寺歴を記した資料が残っておらず、詳細は不明であるが、当山の裏山(観音寺山)に天平年間(729〜49年)、藤原氏が城を築いており、このことから奈良時代に既に建立されていたとの説もある。
南北朝時代、北畠顕家が観音寺城に陣を構え、足利軍の襲来に備えたといわれる。
貞享年間(1684〜88年)に始まったとされる和泉西国観音霊場には当初から20番霊場として、本尊の十一面観音菩薩像は土地の人々から信仰を集めていた。
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[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
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境内の楠と観音寺の山門。
この楠は約500m程離れた15番札所の成福寺からも望まれ、観音寺にたどる道の目印となった。 |
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本堂と本堂の横にそびえる楠の大木。本堂は宝暦年間(1751〜64年)の建立と伝わり、いく度かの改修を加えながら、現在に至っている。本堂の前は盆踊りなどが行えるほどの大きな広場になっている。 |
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鐘楼につるされていた鐘は戦後の1955年(昭和30年)に鋳造された比較的新しいものであった。 |
広い境内の本堂と向かう形で建てられていた墓。
江戸初期の『正保3年2月』(1646年)の銘があり、なにやら曰くがありそうなお墓だった。 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2006年7月29日参拝] |
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