  |
所在地:和泉市国分町
最寄駅:JR阪和線「和泉府中」OR南海線「泉大津」OR泉北高速線「光明池」下車、南海バス「父鬼」行きで「黒石道」下車、南西
約300m |
741年(天平13年)聖武天皇が光明皇后のすすめにより、全国に国分寺建立を発願した。当時和泉国は存在せず、河内国に含まれていたが、757年(天平宝字元年)に和泉国として分離独立された。和泉国の国分寺は『続日本紀』によれば、839年(承和6年)勅を奉じて当地にあった安楽寺を国分寺と改称している。
現在の国分寺からは往時の規模を推し量ることは困難であるが、発掘調査によると、現在地を中心に南北は約300m、東西は約200mの敷地の中に、金堂や宝塔などの伽藍が聳えていたと推測される。
1796年(喚声年)刊の「和泉名所絵図」ではこれらの建物の旧礎石が存在するとあり、当寺を「光明皇后誕生地」と伝えているとのことである。
当寺の変遷は明らかではないが、1337年(延元2年)の南北朝の戦いでは当地が戦場となり、大きな被害を被ったものと思われる。また、当寺の古過去帳には『天正2年焼失す(1574年)』と記されているとのことで、天正2年といえば、顕如上人が石山本願寺で挙兵した年であり、焼失の原因が戦国大名の争いに巻き込まれたのか、失火によるものか不明だが、度重なる戦禍が当寺を襲ったことは想像に難くない。 |
国分寺が光明皇后の生誕地であるとの伝説があるが、本堂においてあった泉北高速鉄道が発行したウオーキングのパンフレットに光明皇后の生誕にまつわる話が紹介されていた。
これによると光明皇后はこの国分寺の高僧と鹿の間に生まれた女児で、時の権力者藤原氏の養女となり、都で育てられたという。
この女児がこの地を去るとき、母の鹿が悲しみながら娘を見送ったといわれるのが「女鹿坂(めまさか))」の地で、現在ではバス停の名として残っているとのことである。
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[参考資料] 『和泉国 国分寺 縁起』 国分寺パンフレット
『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
 |
 |
国分寺正面入口より本堂を望む。
門の脇には見事な松がある。 |
境内には高野山から移植し手入れされた高野槙が10数本植えられている。 |
境内に安置されている水子観音像。
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 |
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本堂の前に建つ『和泉国分寺跡』の碑。 |
本堂の前に展示されていた柱の出土品。 |
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本堂の中に展示されている出土品。手前の柱と右側の写真で丸軒瓦は昭和初期に境内よりの出土品、軒平瓦は最近の出土品とのこと。 |
 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2006年10月13日参拝] |
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