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所在地:堺市中区平井
最寄駅:南海高野線「北野田」下車、南海バス「鳳駅前」OR
「津久野駅前」行きで「久世小学校前」下車、南に入るすぐ |
海岸寺の創起は江戸時代初期と伝えられるが詳細は不明である。
当時の平井村では海岸寺、和泉33ヶ所第7番札所の観音寺と安楽寺の3ヶ寺があり、堂宇が整った寺院もあった様であるが、明治初年に至り安楽寺が無住となったため、海岸寺の住職が安楽寺に入り、海岸寺を称した。
また、元の海岸寺と観音寺は廃寺となったため、3ヶ寺の仏像は全て新しい海岸寺で引き継ぎ安置され、和泉33ヶ所第7番札所も海岸寺が引き継いで現在に至っている。
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[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行 |
 |
海岸寺の山門は中国風の禅寺独特の山門である。 |
1998年(平成10年)に落慶がなった新しい本堂。
以前の本堂は1960年(昭和36年)9月16日の第2室戸台風で倒壊し、安置されていた大部分の仏像も大きな被害を受けた。海岸寺にとっては新しい本堂の再建は長年の念願であったとのことである。 |
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 |
 |
真新しい鐘楼。2006年(平成18年)12月17日に落慶が成ったばかりである。
釣鐘は吹田市高浜町ある正善寺が移転に伴い、不要となったため譲り受けた。戦時中に供出されたが溶かされず戦後無事に戻っため「延命の鐘」と呼ばれる。 |
本堂の前に安置されている布袋さん。
禅宗では布袋さんは弥勒菩薩の化身とされ、禅寺では多く見かける像である。 |
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境内の周辺には四国88か所の石仏が安置され、短時間で霊場巡りが出来る。 |
 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2006年12月20日参拝] |
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