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所在地:泉南市信達岡中
最寄駅:JR阪和線「和泉砂川」下車、南へ約1.5Km |
当山は天平年間(724〜49年)聖武天皇の勅願寺として行基菩薩が畿内49院の一つとして開創したと伝える。別名「岡大師」とも呼ばれ、泉州における弘法大師信仰の拠点でもある。
平安後期、堀河天皇(在位:1086〜1107年)が熊野詣での折り、当山に行幸された時、山ツツジが見事であったので、当時の歌人源俊頼が詠んだ歌に『とりつなげ 玉田横野の 放れ駒 躑躅が岡に あせみ花さく』とあり、これにちなんで山号を躑躅(てきちょく)山と改め、法林繁昌の勝地として林昌寺とするように勅されたという。
1577年(天正6年)織田信長の雑賀攻めの兵火を受けて全山が焼失したが、1641年(寛永18年)僧真海が中興し、今日に至っている。
山号に示すごとく、古くからツツジの名所として知られ、『和泉名所図会』にも「経十四五町に、緯三四町、満山、躑躅にして、花の盛りには最壮観なり。近隣、ここに聚りて、爛漫を賞ず」と記す。
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[参考資料] 『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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林昌寺山門。 |
山門を入った所にあった石塔。
年代もので何やら言われがありそうだったが、その由緒を聞き逃してしまった。 |
林昌寺本堂。
本尊の阿弥陀菩薩像は秘仏。 |
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本堂前の山の斜面には一面ツツジとサツキが植えられている。左は鐘楼、正面のお堂地蔵堂。 |
地蔵堂から見下ろした光景。
右の大きな建物が本堂。正面のお堂は観音堂。 |
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地蔵堂。 |
薬師堂。 |
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和泉三十三ヶ所観音霊場 |
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[2007年4月10日参拝] |
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