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霊場参拝
近畿36不動尊 近畿36不動尊
第13番
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嵯峨御所 大覚寺 所在地:京都市左京区嵯峨大沢
最寄駅:JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車北へ徒歩20分。若しくは
京福嵐山線「嵐山」下車、バスで「大覚寺」行き、終点
大覚寺の正式名称は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といい、平安時代の初期、嵯峨天皇[在位:809〜823年(大同4〜弘仁14年)]は皇后との新居(離宮)として、都より離れた当地に「嵯峨院」を建立したのが前身である。
 876年(貞観18年)、嵯峨天皇の皇女・正子内親王が「嵯峨院」を仏寺に改め、淳和天皇皇子の恒寂入道親王を初代住職に迎え「大覚寺」として開山した。
 その後、後嵯峨上皇後宇多法皇が続いて大覚寺門跡となり、南北朝時代には、南朝の御所となり、大覚寺統(南朝)と呼ばれた。
 392年(元中9年:北朝 明徳3年)に、足利義満の斡旋により、南北朝の講和が大覚寺で行われ、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲り大覚寺に入った。
 戦国時代、応仁の乱によりほとんどの堂を焼失、衰退したが、江戸時代初期にはほぼ寺観が整い、大正年間(1912〜1926年)には心経殿が再建、心経前殿も造らた。また、1938年(昭和13年)には、大覚寺境内全域が大覚寺御所跡として国指定史跡に指定されている。
また、大覚寺はいけばな発祥の地ともいわれ「嵯峨流華道」の家元でもある。

[参考資料] 旧嵯峨御所『大覚寺』 大覚寺パンフレット
         『大覚寺ホームページ』
大覚寺御影堂 大覚寺勅使門
宸澱から御影堂を望む。宸殿は江戸・延宝年間(1673〜80年)に後水尾天皇の中宮東福門院の宮殿を移築したものと伝えられている。
このお寺は建物内観が主体で、庭に降りることが出来ないため、建物の全景を撮る角度が見つからない。
御影堂の正面にある勅使門。
[嘉永年間(1848〜54年)の再建]。手前の橋の下を流れる川は最近、TVのワイドショーでとみに有名になった「有栖川」が流れている。
大覚寺霊明殿 大覚寺五大堂(本堂)から望む大沢池
落ち着いた雰囲気の境内の中にあって、鮮やかな朱色がひときわ目立つ霊明殿。
この建物は1936年(昭和11年)2・26事件で凶弾に倒れた内閣総理大臣斉藤実が昭和恐慌のおり、国民の自力更生を願って自費で建てたお寺「仏日寺(東京・沼袋)」を1958年(昭和33年)に現地に移築したもの。
五大堂(本堂)から望む大沢池は周囲約1kmの日本最古の人工庭園とのこと。1922年(大正11年)には、大沢池、名古曽滝跡が国指定の名勝地となっている。
芭蕉の有名な句「名月や 月をめぐりて 夜もすがら」はここで詠まれたと案内板にあった。
大覚寺明智門 大門の隣にある「明智門」。この門は明智光秀が城主だった亀山城から移築されたもので、この奥には亀山城の一部と伝えられる「明智陣屋」がある。
ご朱印
近畿三十六不動尊霊場
大覚寺朱印-1
[2003年10月16日参拝]

寺院-045/TTL-080

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